クリニックの労務管理の基本と実務のポイント
〜労働時間・残業・有給管理・スタッフトラブル対応など〜
クリニックの経営において、質の高い医療提供と同じくらい重要となるのが、適切な労務管理です。特に、医師や看護師、事務スタッフといった専門職を抱える医療機関では、労働基準法をはじめとする各種法令遵守が厳しく求められます。適切な労務管理は、単に法律を守るためだけではなく、スタッフの定着率向上や良好な職場環境の維持、ひいては患者サービスの質向上に直結します。
しかし「医師の労働時間規制」「複雑な有給休暇の管理義務」「スタッフ間の人間関係やハラスメントへの対応」など、一般的な企業とは異なる専門的な問題も多く、その実務は多岐にわたります。本記事では、クリニック経営者が直面する労務管理について、日々の実務で役に立つポイントを解説します。
目次
クリニック経営で最初に押さえるべき労務管理の基本
日々の診療や経営の準備に追われる中で「スタッフの労務管理」について、少し不安を感じておられるのではないでしょうか。「人を雇うのは初めてで、何から手をつければ良いか分からない」「労働基準法と言われても、難しくてよく分からない」こういったお悩みを、多くの開業医の先生方がお持ちかと思います。
基本①:労働時間・休憩・休日のルールについて
まず、全ての基本となるのが「労働時間」の考え方です。スタッフに気持ちよく働いてもらうため、そして法律を遵守するために、以下の3つの原則を必ず押さえてください。
労働時間の大原則は「1日8時間・週40時間」
労働基準法では、労働時間の上限を「1日8時間、1週40時間」と定めています。これを「法定労働時間」と呼びます。この時間を超えて働かせる場合は、後述する「時間外労働(残業)」となり、割増賃金の支払いが必要になります。
【よくある誤解】
クリニックの診療時間が午前9時から午後7時(うち休憩1時間)の場合、拘束時間は10時間、実働は9時間となります。この時点で、法定労働時間を1時間超えているため、毎日1時間分の残業代が発生することになります。診療時間の設定には十分ご注意ください。
休憩の3原則「労働時間の途中」で、「一斉に」「自由に」
休憩時間は、スタッフが労働から解放される大切な時間です。法律では以下の3つのルールが定められています。
①労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を労働時間の途中に与える。
②休憩時間は、原則としてスタッフ全員に「一斉に」与える。(※労使協定を結べば、交代での休憩も可能)
③休憩時間は、スタッフが「自由に利用できる」ものでなければならない。
【Q&A】ランチをしながらの電話番や来客対応は労働時間?
→A.労働時間に当たる。賃金が発生するため注意。
お昼休み中に電話対応や患者さんの対応をお願いしている場合、それは「労働から完全に解放されている」とは言えません。このような時間は「手待ち時間」とみなされ、労働時間に含まれます。休憩時間として扱うことはできませんので、注意が必要です。別途、本当の休憩時間を確保するか、その時間を労働時間として賃金を支払う必要があります。
「法定休日」と「所定休日」の違い
休日は大きく分けて2種類あります。
- 法定休日:労働基準法で定められた、毎週少なくとも1回(または4週を通じて4日)与えなければならない休日。この日に労働させた場合は「休日労働」となり、割増賃金(35%以上)が必要となります。
- 所定休日:クリニックが独自に定める休日(法定休日以外)。例えば、週休2日制で日曜日を法定休日、木曜日を所定休日と定めているケースです。所定休日の労働は、法定労働時間を超えなければ割増賃金は不要ですが、1日8時間もしくは週40時間を超える部分については時間外労働(残業)として割増賃金(25%以上)が必要になります。
基本②:賃金の支払いで守るべき「5原則」と「最低賃金」について
賃金はスタッフの生活を支える最も重要な要素であり、支払いには厳格なルールが定められています。
賃金支払いの5原則
- 通貨払いの原則:賃金は現金(通貨)で支払わなければなりません。(※本人の同意があれば口座振込も可)
- 直接払いの原則:賃金は本人に直接支払わなければならず、代理人への支払いは認められません。
- 全額払いの原則:賃金はその全額を支払わなければなりません。税金や社会保険料など、法令で定められたもの以外を一方的に天引きすることは禁止されています。
- 毎月1回以上払いの原則:賃金は毎月1回以上支払わなければなりません。
- 一定期日払いの原則:「毎月25日」のように、支払日を特定して支払わなければなりません。
【Q&A】スタッフが誤って備品を壊してしまった。修理代を給与から天引きしても良い?
→A.勝手に天引きするのはNG。本人の同意を得る必要あり。
これは「全額払いの原則」に違反するため、一方的な天引きは認められません。損害賠償と賃金の支払いは別の問題です。本人と話し合い、同意を得た上で別途支払ってもらうか、労使協定を締結した上で相殺するなどの手続きが必要となり、非常に慎重な対応が求められます。
最低賃金を下回っていないかのチェックをお忘れなく
昨今急激に上昇していることで話題になることも多い最低賃金。都道府県ごとに時給換算した際の最低額(最低賃金)が定められています。パートやアルバイトであっても、この金額を下回ることは許されません。最低賃金は毎年改定される可能性があるため、自院の所在地の最新の金額を必ず確認するようにしてください。
応用①:「残業」の正しい理解と残業代の計算方法
残業代の未払いは、労働トラブルの中で最も多く、クリニックの経営に大きなダメージを与えかねない問題です。労働基準監督署の立ち入り調査でも重点的に調べられるポイントでもあります。
「法定内残業」と「法定外残業」
残業には2つの種類があることを理解しましょう。
- 法定内残業:所定労働時間は超えるが、法定労働時間(1日8時間・週40時間)の範囲内の残業。割増賃金は法律上不要ですが、通常の時給分の支払いは必要です。
- 法定外残業:法定労働時間を超える残業。これに対しては、“25%以上の割増賃金の支払い”が必要です。
そもそも法定労働時間を超えて労働させるには、「36(サブロク)協定」をスタッフの代表者と結び、労働基準監督署に届け出る必要があります。この届出なく法定外残業をさせることは、それ自体が法律違反となります。
また、「36協定」は毎年届出が必要です。一度出したきりで更新していないというケースも多々ありますのでご注意ください。
残業代の基本的な計算式
残業代は、以下の式で計算します。
[計算式:基礎となる時給×割増率×残業時間]この「基礎となる時給」について、時給の場合は分かりやすいのですが、月給の方における時給は貴院における「月の平均所定労働時間」で固定給を割った金額になります。「月の平均所定労働時間」を算出するためには年間休日カレンダーを作成し、クリニックの労働日、労働時間、休日を特定しておく必要があります。
【Q&A】シフト前後に働いている時間は労働時間になる?
→A.指示(黙示の指示を含む)がある場合は労働時間となる。
診療後の片付けやカルテの入力、翌日の準備なども、院長の指示(黙示の指示を含む)によって行われている場合は、すべて労働時間に含まれます。「自主的にやっているから」という理屈は通用しないケースがほとんどです。労働時間は1分単位で、客観的な記録(タイムカード、ICカードなど)に基づいて管理することがトラブル防止の鍵です。
「固定残業代(みなし残業代)」の注意点
「毎月〇〇円を固定残業代として支払う」という制度を導入するクリニックもあります。固定残業代は給与計算等の工数を減らすことが可能になるためメリットも多いのですが、その運用には細心の注意が必要です。
注意すべきポイントは以下になります。
- 固定残業代が何時間分の残業代に相当するのかを労働条件通知書等で明確にしなければなりません。
- 実際の残業時間が、固定残業代に含まれる時間を超えた場合はその差額を別途支払う義務があります。
これらの要件を満たしていない場合、固定残業代の支払いが無効と判断され、残業代の全額を遡って支払うよう命じられるリスクがあります。「固定残業代を払っているから、いくらでも残業させて良い」「労働時間を細かく管理しなくても大丈夫」というのは、完全な誤りですのでご注意ください。
応用②:「年次有給休暇」の付与と管理のポイント
有給休暇も、残業代と並んでトラブルになりやすいテーマです。正しい知識を身に付けましょう。
パート・アルバイトにも有給休暇は発生します
有給休暇は「雇入れの日から6ヶ月間継続勤務し、その間の全労働日の8割以上出勤した」スタッフに対して与えなければなりません。これは、パートやアルバイトなど、雇用形態に関わらずすべてのスタッフに適用されます。また、付与日数は、勤続年数と週の所定労働日数に応じて決まります。
【年次有給休暇の付与日数(週5日以上勤務の場合)】
横スクロールでご確認いただけます
| 額勤続期間 | 6ヶ月 | 1年6ヶ月 | 2年6ヶ月 | 3年6ヶ月 | 4年6ヶ月 | 5年6ヶ月 | 6年6ヶ月以上 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 付与日数 | 10日 | 11日 | 12日 | 14日 | 16日 | 18日 | 20日 |
- ※週の所定労働日数が4日以下の場合は、日数に応じて比例付与されます
「年5日の取得義務」と「時季変更権」
2019年の法改正により、年10日以上の有給休暇が付与されるスタッフに対しては、年に5日間は、クリニック側が時季を指定して取得させることが義務付けられました。労基署の立ち入り調査でも是正勧告が多く行われるポイントですので、注意して管理しましょう。
【Q&A】スタッフからの急な有給申請、断っても良い?
→A.時季変更権を使うことはできるが、基本的には難しい。
スタッフは原則として、希望する時季に有給休暇を取得できます。クリニック側がこれを拒否することはできません。ただし、その日に休まれると「事業の正常な運営を妨げる場合」に限り、別の日に変更してもらう「時季変更権」を行使できます。しかし、単に「忙しいから」「代わりの人がいないから」という理由だけでは、この権利の行使は認められないことがほとんどです。時季変更権の行使は、代替スタッフの確保に最大限努力してもなお困難な場合に限られる、と慎重に考える必要があります。
実践①:「解雇」は簡単ではないと心得る
残念ながら、スタッフの勤務態度や能力に問題が生じるケースも考えられます。しかし、院長の判断で一方的に「辞めてもらう(解雇する)」ことは、法律上、非常に厳しく制限されています。
ありがちな誤解と法的リスク
誤解1:「何度注意しても改善しないから、明日から来なくていい」
誤解2:「試用期間中なら、理由なく辞めさせられる」
これらは、いずれも「不当解雇」として訴訟に発展するリスクがあります。日本の労働法では、労働者の地位は手厚く保護されており、解雇には「客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当である」ことが求められます。
たとえ能力不足を理由とする場合でも、
- クリニック側が十分な教育・指導を行ったか
- 改善の機会を与えたか
- その上で改善の見込みがなかったか
などが厳しく問われます。感情的な判断での解雇は、絶対に避けなければなりません。
トラブルを避けるための予防策
- 段階的な注意・指導:
まずは口頭で注意し、改善が見られなければ書面(指導書など)を交付するなど、段階を踏んで対応します。その際、「いつ、誰が、どのような問題行動に対し、どう指導し、相手がどう応じたか」を客観的に記録しておくことが極めて重要です。 - 就業規則への明記:
解雇事由を就業規則に具体的に定めておくことも、万が一の際の備えとなります。また、採用時や勤務開始時の説明で懲戒事由や服務規程についての書面を交付し、確認したことを署名してもらうと、よりクリニック側のリスク回避につながります。 - 退職勧奨:
解雇という一方的な手段ではなく、「辞めていただけませんか」と合意による退職を促す「退職勧奨」という方法もあります。ただし、これも度を超すと「退職強要」とみなされるため、慎重な進め方が必要です。
実践②:「知らなかった」で済まないハラスメント対策
快適な職場環境を脅かすハラスメントは、絶対にあってはならないものです。院長には、ハラスメントを防止する措置を講じることが法律で義務付けられています。
パワハラと指導の境界線
指導のつもりの言動が「パワーハラスメント(パワハラ)」と受け取られてしまうリスクがあります。パワハラとは、以下の3つの要素を全て満たすものと定義されています。
- 優越的な関係を背景とした言動
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの
- 労働者の就業環境が害されるもの
人格を否定するような暴言や、他のスタッフの前での厳しい叱責などは、指導の範囲を超えたパワハラと判断される可能性があります。
院長が負う「使用者」としての重い責任
院長自身が加害者にならないことはもちろん、スタッフ間のハラスメント(セクハラやいじめなど)を放置することも、重大な責任問題に発展します。これは、使用者がスタッフの安全と健康に配慮すべき「安全配慮義務」に違反するとされるためです。「知らなかった」「本人たちの問題」では済まされません。ハラスメントの発生は、スタッフのメンタルヘルス不調や離職を招き、クリニックの評判を著しく損なうことにもつながるため、スタッフに対してハラスメント研修を実施するなどの対策が求められます。
ハラスメントの予防策
- 方針の明確化と周知:クリニックとしてハラスメントを一切許さないという方針を明確にし、全スタッフに周知徹底します。
- 相談窓口の設置:スタッフが安心して相談できる窓口を設置し、その存在を知らせます。
- 迅速かつ適切な対応:相談があった場合は、事実関係を迅速に確認し、プライバシーに配慮しながら適切に対応する体制を整えます。
まとめ
今回はクリニック経営を行う上で押さえるべき労務管理の基本について、幅広く解説してまいりました。これらがクリニックを労務トラブルから守り、スタッフが安心して長く働ける職場を作るための土台となります。適切な労務管理は最も効果的な投資の一つといえますが、開業準備でお忙しい先生が、これらすべてを一人で行うのは簡単ではありません。そんなときは社会保険労務士などの専門家を活用し、法令遵守と働きがいのある職場づくりを両立させていきましょう。クリニックの安定経営において、労務管理は法令遵守と人材確保の要です。労務管理の複雑さに対応するため、社会保険労務士などの専門家と連携し、常に法令を遵守した「働きやすい職場」づくりを継続することが、質の高い医療提供とクリニックの持続的な成長を支える基盤となります。
筆者プロフィール
筆者/岡崎謙二(1級ファイナンシャルプランニング技能士・CFP®)
株式会社FPコンサルティング(https://fp-con.co.jp)顧問
関西大学卒業後、最大手生命保険会社勤務を経て独立系FP会社を設立。保険会社勤務時に 医師会年金を担当し、医師・歯科医師と多数面談。医師・歯科医師に特化した金融商品を取り扱わない独立系FPとして講演会講師、個別相談など精力的に活動中。
資格:1級ファイナンシャルプラニング技能士(国家資格)・CFP®(国際ライセンス)。著書に『ドクターのためのお金の増やし方実践法~65歳で1億円を用意するために~』。
監修:重松享(社会保険労務士)



































