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第1章 夢を語りあった日々

時はさかのぼり、1987(昭和62)年の夏。場所は、福岡市都心部のシンボルともいうべきビルの屋上ビアガーデン。ほぼ満席のテーブルの一角を、仕事を終えた「株式会社総合メディカル・リース(現・総合メディカル株式会社)」の創業メンバーを含む営業マンたちが占めていた。宵といえども、熱気は去らず蒸し暑かった。 ビールを片手に交わされていたのは、仕事の疲れを癒す慰労の言葉ではなく、 熱気をさらに熱くするような議論だった。営業での成果や反省をはじめ、それぞれの思いが語られる。そこは第二の会議室だった。 「開業医の高齢化は、ますます進行する。後継者のいない開業医を支援する医業継承に関わる事業こそ、これからさらに重要になる」 「医療機関は地域のためのものであり、財産だ。その財産を次の先生へと引き継ぐお手伝いを、わが社が担っていくことはできないか」 その場にいた社員の中で最年少だった原口錠二(はらぐちじょうじ)は、時代の動きを察知し、自社の事業のかじ取りをする頼もしい先輩たちの発言を必死に聞いていた。地域の医療機関の重要性や価値とは何かを語りあい、そのために自分たちができることは何かを追求する熱い議論が好きだった。

原口錠二

「地域医療を継続させる医業継承を支援するには、不動産の売買や賃貸の業務を強化し、新たに事業化する必要がある」 「開業支援にも不動産取引はつきものだ」 「高額で権利関係も複雑な不動産取引をおこなうには、『宅地建物取引主任者(宅建)』資格の取得が必要となる」 しかし当時、社内にはその資格をもつ者は一人もいなかった。 いつも夢を語りあってきた議論は、その夜、新たな展開をみせる。

「不動産の専門知識習得のために、原口、きみに宅建試験に挑戦してもらおう」 白羽の矢が立てられた。それも、自分に…。 原口は、戸惑いながらも、その重要性を理解した。当時、宅建試験の合格率は2割程度。この資格取得が容易でないことは誰もが知るところだった。 「わかりました」それだけ答えて、彼はジョッキに残った生ビールを飲み干した。

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