【第16回】東西融合医療で、最善の医療を目指す!
近年、「なんとなくだるい」「体が重い」というような、西洋医学では病名のつけられない身体的な不調を訴える患者さんが増加し、医師の間でも東洋医学に対する関心が高まっています。しかし、「東洋医学に興味はあっても何から学んでいいか分からない」という研修医の方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、日本東洋医学会から漢方専門医育成の指導施設として委託を受けている「つるかめ漢方センター」の所長を務めている私が、東洋医学と西洋医学を融合させた診療についてお話しいたします。
- 頼 建守(らい・けんしゅ)
- 婦人科医師・漢方科医師。
つるかめ漢方センター所長。新宿海上ビル診療所副院長。
東京医科歯科大学老年病内科非常勤講師・臨床准教授。2013年3月末まで北里大学東洋医学総合研究所漢方科客員医師。台湾生まれ。平成元年慶應義塾大学医学部卒業。
慶應義塾大学付属病院産婦人科、東京歯科大学市川総合病院産婦人科、国立埼玉病院産婦人科、北里大学東洋医学総合研究所漢方科を経て、現在に至る。
慶應大学病院およびその関連病院で勤めていたとき、婦人科医としてずっとガンの手術に取り組んでいたが、椎間板ヘルニアを患い、腰痛と足のしびれに悩まされた。整形外科で1年以上の治療を受けても好転せず、辛さのあまり台湾に一時帰国。現地で漢方と鍼灸の治療によりわずか2ヵ月で完治した経験から東洋医学に魅了され研鑚を始める。
スマートDr.養成講座 第16回 東西融合医療で、最善の医療を目指す!
〔1時限〕 西洋医学と東洋医学はどう違う?(前編)
『西洋医学』とは、簡単にいうと西洋で発展してきた現代医学のことです。一方、『東洋医学』は東洋で発展してきた伝統医学といえます。
東洋医学界では民間療法と区別するために、古医籍に基づく薬物療法を『漢方医学』、鍼や灸でツボなどを刺激する物理療法を『鍼灸医学』とし、現在『東洋医学』と呼ばれるものは主にこの両者のことを指します。
現代日本の医療においては、西洋医学が中心です。しかし近年、西洋医学の限界を感じつつあり、西洋医学のなかに東洋医学的な考えを取り入れる『統合医療』に徐々に注目が集まっています。西洋医学と東洋医学を融合して、最善の医療を目指すために、まず『西洋医学』、『東洋医学』という用語を正しく理解しなければなりません。
そこで、1時限目では両者の特性を知っていただくために、まずは西洋医学と東洋医学の違いについてお話ししたいと思います。
■西洋医学と東洋医学の歴史
西洋医学と東洋医学について理解を深めていただくために、まずは、その歴史を少し紐解いてみましょう。
その昔、中世ヨーロッパでは「病気は神からの贈り物」という教会の教えの下、病気を治すことが禁じられていました。しかし、ルネサンス時代(1400~1500年代)を迎えるとともに、人体を用いた実証や解剖が行われるようになり、また人の身体で薬の効果を図るといったような、近代医学に通じる礎が芽生え始めました。やがて科学の発達とともに、人体を視覚化するための道具が開発され、近代の放射線を利用したレントゲンやCT、MRIなどの放射線医療機器へとつながっていきます。
日本では、室町時代にはじめて西洋医学(南蛮医術)が伝えられ、江戸時代には長崎・出島のオランダ商館(1641年設立)に駐在していた商館医によって蘭方医学が限定的な場所と人々に行われていました。後に杉田玄白(1733~1817)らによる『解体新書』の翻訳を機に、蘭方医学への関心が急速に高まりました。また外科手術をはじめとする臨床医学に関する知識の教育も、来日した医師達によって行われていました。開国後の安政4年(1857年)以降、日本でも自然科学を土台にする体系的な近代医学教育が行われ、1861年には蘭方専門の医療機関である長崎養生所が創設されました。こうして、蘭方医学は近代日本における西洋医学導入の先頭を切ることとなりました。
一方、約2000年もの歴史をもつ東洋医学は古代中国で生まれ、7世紀には遣隋使や遣唐使によって日本にも伝えられました。しかし、鎖国とともにその後情報流入がかなり閉ざされ、その結果、日本人の体質や文化にあわせた日本独自の東洋医学が確立していったのです。
江戸時代には『漢方』と呼ばれ、医療の中心であった東洋医学ですが、明治時代になると、1876年に政府は「新たに医業を行うには西洋医学を修め洋方六科(西洋医学)試験の合格者のみを〈医師〉として開業を許可する」という新たな政策を打ち出しました。この政策では、漢方医は一代限り既得権として医師を名乗ることが許されました。しかし新たに東洋医学を習得しても西洋医学の医師免許がなければ東洋医学による治療を行えなくなってしまったのです。
この政策に異議を唱え、制度の改正を求める熾烈な「漢方復興運動」が明治中期まで行なわれました。しかし現在に至るまで、その政策・法律に基本的な変更はありません。