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  2. 第2章 医療を支えていくために

第2章 医療を支えていくために

宅建試験へのチャレンジ。 原口はこの時「地域医療のためであると同時に、 自分自身のための挑戦だ」 と強く思った。

ジョッキを交わし、夢を語りあってきた面々の中には、向江健治(むかえけんじ)や田代五男(たしろいつお)などといった、第一線の営業マンたちがいた。

原口は、入社当初からずっと、営業訪問件数を積み重ねることで、リースなどの契約件数ではトップの成績を残そうと努力してきた。そんな彼だったが、契約内容となると、若いこともあって、 目の前にいる先輩たちには遠く及ばなかった。

このそうそうたるメンバーの中で、自分の存在価値を高めていくには何か武器が必要だ。 その思いは以前からあった。宅建資格の取得。これだ!とそのチャレンジに大きな意義を感じた。

試験勉強は、その夜からスタートした。

大学は法学部で、民法を専攻していた。教科書はまだ自宅の本棚にあった。数冊を取り出して、机に積んだ。 「宅建試験で一番の壁とされる民法は大丈夫だろう。ただ、宅地建物取引業法や建築基準法、それから税務関連は、猛勉強が必要だ。明日にでも問題集を買い集めよう…」 大学の教科書を手にしながら、原口はカレンダーを眺めた。

試験日まで、すでに3カ月を切っていた。

買いそろえた問題集のうち1、2冊をつねに持ち歩くようにして、時間があれば目をとおした。そして予想問題に繰り返し挑み、週末は終日机に向かった。

社員旅行の旅先でのこと。 宴会も終わり各自が眠りについた深夜、ふと目を覚ました社員が部屋のトイレの明かりに気づいた。 中から何か音がする。 恐る恐る近づき声をかけてみた。 「誰かいるのか」 「はい、原口です」 「どうした原口」 そのとき突然トイレのドアが開き、そこには真剣な顔つきの原口が立っていた。 「すみません、ちょっと眠れなくて…」 原口の手には「パーフェクト宅建・直前予想模試」という問題集と赤ペンが握られていた。 試験日は、1週間後に迫っていた。

こうした短期間での猛勉強が実り、 1987(昭和62)年10月、社内初の宅建資格取得者が誕生する。そして、事業内容には、「不動産仲介業・医業継承事業」が加えられた。 前後して、まずは熊本支店 、続いて福岡支店、北九州支店と、拠点開設が相次いだ。翌年6月には、調剤薬局「そうごう薬局」の1号店を開設。 そして、 1989(平成元)年10月には、 「株式会社総合メディカル・リース」 から「総合メディカル株式会社」に商号を変更する。

医療機関は安定的で、経営相談の機能もその必要性もなかった時代から、医療費抑制政策の進行にともなって、厳しい経営を余儀なくされる時代へと入っていた。 医療機関の経営環境が変わるなか、総合メディカルは地域における医療機関の重要性をいち早く認識。そして医師が医療に専念できるよう、他社に先がけて、医療機関の経営にまで踏み込んでサポートする会社となった。

やがて事業拡大にともない、宅建資格取得者だけでなく、日本医業経営コンサルタント協会認定登録・医業経営コンサルタントなど、さまざまな分野のスペシャリストの育成が進められた。その結果、医業経営コンサルティング業務に広く精通したプロフェッショナル集団へと急速な進化を遂げた。

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