平山内科整形外科クリニックの医院開業事例


外観


内装

開業タイプ 継承開業
所在地 岡山県笠岡市
科目 整形外科、内科、脳神経外科、神経内科
病床数 なし
平山内科整形外科クリニック
〒714-0011 岡山県笠岡市吉田37-2
TEL:0865-65-1110
http://www.okayama.med.or.jp/kasaoka/hospital/index08.html
医師にとって、かけがえのない体験の連続。
地域医療に取り組む決断に後悔はない。
平山内科整形外科クリニックは2015年8月に、院長引退による閉院を控えたクリニックを継承してオープンした。
院長の平山東氏は、長く大阪大学医学部医局の関連病院を舞台に脳神経外科医として活躍した人物。いくつかの出会いがあり地域医療に取り組む決断をし、地縁のない岡山県笠岡市で開業した。
2019年に開院5年目を迎える今も、日々の診療をとおして、地域医療のすばらしさを実感しているという。

当直の夜の運命的な出会い
自分が設計してもこうなると思える、理想のクリニックの継承案件


院長 平山 東氏

人生に、運命的な出会いというものは、やはりある。平山氏の今日もまた、2014年のとある出会いから地続きになっている。
「勤務先での当直の夜。待機中にパソコンで、総合メディカルの会員サイトに掲示された物件情報を流し見して時間を潰していました。5年後あたりに開業する計画をぼやっと考えている時期の閲覧でした」

「ぼやっとした」開業構想は、居住地である兵庫県西宮市から通勤できる場所であることが条件なため、候補地は兵庫県、大阪府、和歌山県だろうと考えていた。ただ、その晩は、なぜそんなことをしたのかはいまだにわからないが、対象地域の範囲を広げ、検索ボタンを押してみたのだそうだ。
「継承案件としてリストアップされた物件の一つの外観写真に、目が釘づけになりました。直感が働いたという状態でしょうか、心がざわついたと言ってもいい感じでした」

外内観デザイン、院内配置を確かめて、「これは、自分が設計したものか?」と驚くくらい、思い描いていた理想のクリニックがそこにあったのだそうだ。駐車場が広いことも含め、「自分だったら、こうする」「クリニックというものは、こうでなくてはいけない」とうなずくスペックが示されていたとのこと。所在地は、岡山県笠岡市だった。
「現地はJR山陽本線笠岡駅から5キロほど。山陽新幹線が使えるだろうと、行程をシミュレーションしてみると、自宅からクリニックまで2時間もあれば着くとわかりました」

該当案件は、大嶋整形外科内科。整形外科医の大嶋進氏が、1988年に開設し、以来27年にわたり地域に親しまれてきたクリニックだ。大嶋氏の引退にともない、継承先を探していた。
ただ、ことは急を要した。大嶋氏の引退は、2015年中と決まっていたからだ。

「5年後くらいにと考えていた勝負に、今すぐ乗り出さなければならない! 突然降って湧いたような究極の選択の局面でした。
つくづく、人生には不測の事態があるのだなあと思わされました。その後何度か総合メディカルとのやりとりはありましたが、何より驚いたのは、継承をほぼ即決した自分にでした。慎重に物事を決めるタイプを自認する私に、なぜあの時、あれほど大胆な選択ができたのか不思議でなりません。それほど案件に魅力があったのは事実で、選択が正しかったことも証明されているわけですが、よくぞ思い切ったものだと人ごとのように感慨にふけることが今もあります」

野球に例えると、超急性期は先発だが、
中継ぎ、クローザー、敗戦処理のいる全体像を知らなくてよいのか

平山氏は、奈良県立医科大学卒業後すぐに大阪大学医学部医局に入局して脳神経外科の道を歩んだ。
「人の命を救うのが医師だから、外科で、しかも疾患のほとんどが即、命に関わるものであるこの分野に進むのは当然。そんな感じの専門科選択でした」

約10年にわたって過ごした、帰宅の時間も惜しむほどの手術と当直に明け暮れる毎日は、とても充実していたとのこと。ただ、いつの間にか、「自分には足りないものがあるのでは?」との疑問、不安が積み重なっていた。

「野球に例えてみると、脳神経外科は超急性期という意味で先発ピッチャー。発症時点から2週間後くらいまでを任され、その期間にはとても強いのですが、反面その先は何もできないし、何も知らないことにモヤモヤとした気持ちをいだくようになりました。 」

野球の試合は中継ぎもあり、クローザーもいてできあがっている。時には、敗戦処理投手が重要な役割を担うこともある。そう考えると先発しか知らない ― 私は自負を込めて『救命バカ』を自称していたのですが― 自身の医師像が、とても偏った姿に見えはじめたのです」

大学院進学を機に、在宅医療を経験
医師としての幅が広がるのを実感

芽生え、育った思いが実際の行動となったのは、学位取得のために大阪大学大学院医学系研究科に入学した2003年のことだった。

「医師としての幅を広げるために絶対にマイナスはないだろうと、研究の合間に非常勤で在宅診療に携わりました。
そこでの経験は、文字どおり目から鱗が落ちるようなものばかり。それまで接したこともないような疾患を手がけながら、医師としての幅が広がっていくのを実感しました。

気づけば、『はまっている』状態でした。在宅医療の意義深さ、おもしろさ、ジェネラリストのすばらしさに心底感動しました。そして、ある言葉が、頭の中で明確になっていたのです。それは『地域医療をやろう!』です」

無我夢中の10年間には、満足
次の10年間には違うやりがいを見出そうとのグランドビジョン

誤解のないよう記すべきは、決して熱に浮かされて突っ走ったわけではない点だ。

「地域医療なるテーマを見出す過程ではいくつもの出会いがあり、刺激を受けて考えが進みましたが、それ以前に医師人生のグランドビジョンとして整理していた考えもあります。

それは、脳神経外科に身も心も捧げた時期にはどこかで区切りをつけ、次の10年間はもっと違ったやりがいを求めてもいいだろうということです。脳神経外科勤務医の寝食を忘れて没頭するような日常とは違う、いわば生きている実感の深い医師生活がしたい。

どこかで、その方向転換をすべきだと、ずっと思っていました。つまりそれは開業医となることを意味するのですが、その際の具体的方策を決めるうえで地域医療とジェネラリストへの目覚めは大きかったと思います。専門性にこだわるなら脳神経外科単科での開業となるわけですが、自分のめざすものとは違うように感じ、それはどうしてもやる気になれませんでした」

甘く見ていた地方の地域医療
しかしそこには、すばらしい医療とすばらしい先輩医師がいた

物件情報を提供した総合メディカルとは、2012年頃からの付き合いで気心の知れた担当者もいたため、案件はとんとん拍子に前進した。大嶋氏と面談し、平山氏の開院直前の2015年7月には1か月間、ともに診療をする時間を設けることもできた。

「当初のクリニックプロフィールとしての情報で、地域に愛されるクリニックとすばらしい先生がいるということはわかっていましたが、実際にお会いし、一緒に診察を重ねると大嶋先生のすごさが皮膚感覚として理解できました。

正直申しますと、岡山県の郊外で提供されている医療に『大したことはないだろう』との気持ちがありました。しかし、大嶋先生が展開していた医療は、そんな認識が恥ずかしくなるほどハイレベルで、真心にあふれたものでした。恥じ入る気持ちと同時に、地域医療が想像していた以上にやりがいのある世界だと理解させてもらったことへの感謝の気持ちが湧いてきました」

そんな感動ゆえに、ちょっとした隘路に迷い込んだことも明かしてくれた。
「偉大な創業者のつくった会社を引き継いだ2代目が、プレッシャーや劣等感に悩まされるケースがあることは誰もが知っていますね。開院後1年ほど、私のメンタルはそれで、かなり揺れ動くことになります。『大嶋先生の名声に傷をつけるようなことになりはしないか』『大嶋先生から引き継いだ患者さんたちは、我慢して受診しているのではないか』といったネガティブな思考に苛まれて、苦しかったですね」

2年目、3年目、4年目と時がたつにつれ、患者さんが信頼してくれていると実感できるようになったこと、大嶋氏の残していた外来実績などの数値を維持するだけでなく伸ばせたこと、そういった事実を積み重ねて、現在は揺るぎない自信のもとに診療を展開できるようになっている。

地域医療のすばらしさを日々学ばせてくれるこの地に感謝

「開業に際して、譲れない一点がありました。それは、『地域から、〈そこにあってほしい〉と思われるクリニックでありたい』。地域を、ビジネス的な診療圏として見て、マーケティング的な判断で進出し、医療報酬で潤うことだけを考えて運営するようなクリニックにはしたくなかった。

そういう意味で、この土地にはバランスのとれた状況がありましたし、大嶋先生がおこなっていた医療と実績のバトンを渡してくださいました。結論としては『よい出会い』という言葉で締めくくれるのかもしれませんが、譲れない一点のフィルターをとおしても間違っていないと確信したうえで決断したのは正しかったのだと思います」






(上から)処置室。陽光で明るいリハビリテーションルーム。血液検査用の血球計数器をはじめ検査機器もそろう。

開院当初は新幹線を使って毎日自宅から通ったスタイルも、2019年からは、平日はクリニックに泊まり、週末に自宅に帰る生活に切り替えた。現在は、夜間、休日にはオンコールで急患や急変に対応する体制とした。

「日を重ねるごとに、笠岡の地域医療に入れ込んでいっている状況ですね。この地域の医療従事者は皆さん、大嶋先生と同じように真摯な姿勢で医療に取り組んでいるからです。

医師会を通じて、地域に身を捧げているほかの医師の皆さんの活動を見聞きして、かなり触発されています」

「手を抜くわけにいかない」理由は、ほかにもあるという。
「大嶋先生からは、常勤非常勤を合わせると10名のスタッフも引き継いだのですが、その多くが古株。『大嶋先生は、こうだった』『大嶋先生は、もっとすごかった』と笑顔で脅してくれるので、いい意味での緊張感があるのですよ」

最後に、今後のビジョン、方針について。

「大嶋先生からすばらしいクリニックを引き継げたことへの感謝。そして、この笠岡の地で、地域医療の一翼を任わせてもらっていることへの感謝。そんな気持ちをベースに、今の私の中には、私がこの地の医療を次の世代に引き継ぐ使命感が大きく育っています。
そのために大切なことはたくさんありますが、まずは、その日まで頑張れるよう、自らの健康管理をないがしろにしないようにと自分に言い聞かせているところです」

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