ゆっくりとくつろげる個室。
産後の食事を楽しむ多目的室
その後は、周産期という概念が少しずつ一般的になり、産科と小児科が協力体制を整えた周産期医療も広まってきました。青森県では2003年、県立中央病院に総合周産期母子医療センターを作る構想が立ち上がり、私は開設準備室長として関わるようになりました。院内では産科、小児科の協力関係を作り、地元の産婦人科医にはNICUなどを整備した周産期センターの周知を図りました。重症の妊婦さんは周産期センターで対応し、新生児とともにより安心で適切な環境で支えることに理解を求めていきました。それでも、周産期センターがスムーズに稼働し、新生児の死亡率が下がるには、5年から10年はかかるだろうと考えていました。
その後、私は08年に総合周産期母子医療センター長に就任しましたが、10年経てば、最初に作ったものは何でも古くなります。新しい風が吹くことが大切ですから、当初から10年で後進に譲ろうと考えていました。2013年の人口動態統計では、青森県の乳児死亡率が低下し、全国で上位3位に入るなど、周産期センターの成果も実感できるようになりました。
また、センター長時代は、病院の敷地内で生活するような毎日で、ストレスは大変なものでした。一線を退こうと考えたのは、自分の体調不良も原因です。次の道を考えると、温かい地域の病院に勤務するのも良いなと思い始めていました。