1. 【第16回】子どもの可能性を信じ、最後まで諦めない ~『義男の空』×髙橋義男(とまこまい脳神経外科 小児脳神経外科部長・副院長)~

著者とモデルを直撃! 医療マンガ・ドラマの裏話を教えます!

【第16回】子どもの可能性を信じ、最後まで諦めない
~『義男の空』×髙橋義男(とまこまい脳神経外科 小児脳神経外科部長・副院長)~

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2008年から刊行され、文化庁メディア芸術祭にも選出されたドキュメンタリー漫画『義男の空』。そのモデルであり、「子どもの魔術師」とも呼ばれる小児脳神経外科医・髙橋義男氏を訪ねた。

『義男の空』エアーダイブ(作者)

「水頭症です」
ある日突然、生まれたばかりの子供に宣告された病。
平凡で幸せだった家族の生活は一転、病との闘いに巻き込まれていく。
一刻を争う状況の中、絶望と不安に翻弄される家族がたどりついたのは、全国でも数少ない小児専門の脳神経外科医・髙橋義男氏だった。
髙橋氏は、水頭症や脳腫瘍、裂脳症、脊髄髄膜瘤などいずれも重篤な病に冒された子どもたちとその家族から「子どもの魔術師」と呼ばれるほど腕利きの医師である。
髙橋氏の診察室のドアを開けた瞬間、一つの奇跡が始まった――。

「義男の空」は、北海道に実在するあるひとりの小児脳神経外科医の姿と、難病と闘う子どもやその家族の現実を描いたドキュメンタリー漫画である。髙橋氏とその仲間(かぞく)の姿をリアルに描いた「現代編」、髙橋氏の幼少期から医師を志すまでを描いた「過去編」で構成されている。
第1巻の患者のモデルは作者の次男。髙橋氏の「子どもの可能性を信じ、家族に寄り添い、最後まで諦めない姿勢」に感銘を受けた作者は、出版社Dybooksを立ち上げ、2008年に漫画『義男の空』第1巻を出版。以後、年に1冊ほどのペースで刊行し、2018年3月までに第11巻が刊行中。2011年「第15回文化庁メディア芸術祭〔マンガ部門〕」審査委員会推薦作品に入選。2010年フジテレビ系列「奇跡体験! アンビリバボー」にて紹介、韓国ではハングル版が刊行中。

子どもを信じることが「奇跡」を生む

父が公務員だったので、幼少の頃は毎年のように転校、小中学校で5回、そのたびに学校生活、地域生活に慣れず、慣れたらお別れでつらかったです。それが人の気持ちを思いやることにつながり、後で考えると医者としてプラスになりました。高校に行ってからは転校がなくなり、本性が出て来ました。勉強は好きではなくて、どちらかというと「悪ガキ≒みんなのことを考えて積極的に行動する少年だけど態度が悪いなどから先生には認められず」。授業はほとんど聞いておらず、日々の生活は学校内外のもめごとの仲裁で忙しく、課外活動ではラグビーに没頭しました。ラグビーはスタンドオフでキャプテン。仲間内では花形のつもり。クラスの中では勉強できないその他大勢の中心。団塊の世代なので1クラス50人で20クラス、1学年1000人いました。勉強できないグループのリーダーとしてみんなで勝手に面白いことを話して、仲間意識を高めていました。ところが、担任や他の先生達からは義男はクラスの和を乱し、変な仲間を増やす悪い奴とされ、「癌」、「問題児」と名指しされ、自主退学を促されていました。クラスの女子には嫌われていました。

放課後のクラブ活動は仲間との関係は濃かったのですが、先輩との人間関係で少し苦しみました。部員も揃わない弱小チームだったので、ラグビーメンバー15人中5人位は他の運動部から助っ人を借りて試合をしていました。その中の一人に元旭山動物園園長の小菅正夫氏がいます。ルールが全くわからない彼らに教えたのは「ボールを持ったらとにかく走れ!考えるな!」だけ。俺たちはお前らを活かす。そんなチームが全道大会で3位に入ったり、色んな活躍をしました。その経験が、後の「不可能を可能にする」私の生き方につながったのだと思います。

スポーツ推薦が関東、関西の大学から結構きて、そのままラグビーで大学へ進むこともできたんですけど、クラブのみんなと相談、試練を乗り越えようと格好をつけ、勉強すればもしかして合格するのではと周囲の励ましで思い込み、普通に受験したら推薦がきていた学校も見事不合格、公立大学は問題にならない頭のレベルの低さで浪人することになりました。皆も入試に落ちて、クラブやクラスの仲間がそのまま予備校に移行しました。

浪人中は親のスネをかじっちゃいけないと一念発起、苦学の道を選ぶと決めてみんなで相談、予備校少しでアルバイトに明け暮れました。駅に着いたコンテナの中の荷物をトラックに積み込んで各地に運ぶ、そして、降ろすというトラックの上乗りという仕事を主にしました。私の場合はそれに加えて人員の手配もしていました。ラグビー部員はクラブで体が鍛えられていたので喜ばれました。他校のラグビー部で浪人したメンバーも参加しました。そんな蛍雪の功の流れの中で浪人生活を謳歌?している時に、10月の進路相談で母が予備校に呼ばれ、どこの学校にも行けないと言われ、「勉強もしないで何しているの!」と怒られ、姉からは「医者になったら、義男(あんた)みたいな馬鹿でも一生食べていける。」の一言でイチかバチかで医師への道を志すことにしました。アルバイトを続けていたみんなには苦学の道を歩むことによって多くのものを得る、両立できる奴は続けろ、やばい状況にあるやつは俺のように諦めて勉強だけにしろと話して去りました。

それからはいつも一緒にいた友達も予備校に行かず、自宅で勉強。そんなこんなで俺らがやっと入試のための勉強を始めたのは10月末でした。母に見張られ、起きている間は机に向かって、食事をしながら新聞でニュースの勉強、1時間の昼休みがテレビのニュースと教育テレビ、吐く程、勉強したのを覚えています。12月初めくらいからは死に物狂いの猛勉強をようやっと始めました。親の言うことを聞かず、ある意味好き放題の自分の態度に呆れ果てながら、それでも信じてくれる母を悲しませてはいけない、そのためには何とか合格しないと生きる道がないと思い、この頃はじめてわからないところをまとめたノートを作るなど、ようやっと、勉強の仕方が解ると共に自分の立場を理解しました。今の子ども達と違うところは戦後間もなく生まれた私達は「戦争を知らない子ども達」といわれましたが、戦争の影響をうけていたせいかみんなのためにとか、家族のために自分というものを捨てて頑張るというメンタリティーを少なからず持っていたことです。

このような使命感に加え、運動で鍛えた集中力、創造力、想像力、推測力が良かったのか、一浪して、たぶんぎりぎりで札幌医科大学に合格。今考えると唯一の親孝行をしました。医学生になっても勉強ダメでスポーツ中心、ラグビー部作ろうと思ったが出来ず、3つのスポーツクラブに所属し、硬式テニスでは学連で準優勝など好成績を残しました。しかし、スポーツ選手になるわけでないので、医師としての将来は漠然と内科系よりも外科系かなと考えていました。脇が甘い性格なので大学の途中までは、卒業しても国家試験に合格しないと医師になれないとは思っていませんでした。こんな感じで暮らしていましたから、先のことはあまり考えず、脳外科の病院にたまたま泊まり込みでお世話になっていた関係で、そのまま脳外科へと進みました。手先はそれほど器用ではないと思っていたので躊躇もありましたが、脳外科医は、状況に応じて、瞬時に適切な判断を下す能力が必要とされるので、しばらくして自分に合っていると痛感しました。

40数年前、私は一般を診る脳外科医でした。大人においても出血中の動脈瘤や血管吻合の手術などで不可能を可能にしていました。ある時、子どもの脳外科の状況は厳しく、障害が重度あれば治療適応外が普通で、生きることすら諦められる現実を知りました。弱いものを助けなさいと、母に刻まれた私の心に火がつきました。そして、障がいがあろうとなかろうとこの世に生まれてきたことは喜ばしいことなんだから、なんとかしなくてはと子どもを主に診る脳外科医になりました。その頃、子どもの脳神経疾患の診断は、まだ頭に懐中電灯を当てたり、脳に空気を送り込む気脳写で診断していました。その後CTが普及して新生児にも精度の高い脳の検査が可能になりました。更に顕微鏡下の手術が進歩し、ひと昔前なら難治とされていた脳の病気も患児の救命だけでなく、将来に障害を残さない可能性を生み出す治療法へと進化し始めました。このような流れの中で、母の教えと私の大人の治療で培ったひらめきから生まれた新たな治療方針は更に有効でした。

とはいえ、手術が成功したとしても、だまってみているだけではよくなりません。環境も変えるなど子どもの治癒力や能力を最大限に引出す努力をしなければ、子どもはそれ以上頑張ることはできませんし、治ることはないのです。子どもの頑張る力を引き出せるのは両親や周囲の人々です。チームとして両親ともに前向きに取り組んでもらうことから治療がスタートするのです。同じ病気を持つ子ども達、患者さんのご家族や仲間に会ってもらい、つらいことを共有してもらうだけでなく、どのような経過をたどってよくなっていくのかをイメージしてもらうのです。流れとしては「なおらないかもしれない」「このまま治らなかったら…」というのは単なる思い込みですと親御さん及び周囲の人に話し、改善する事実を見せ、その思い込みを解いていくのです。すぐに結果がでなくても必ず良い結果がくるからコツコツ続けよう。

「治ったら奇跡だ」と言われるような病気でも、子どもをそして自分を信じることです。子どもの努力と共に子どもの力を精一杯引き出してあげられたら、本当の「奇跡」を起こすことができます。僕はそのチームの監督に過ぎないのです。

命の尊さや、人としてあるべき生き方を伝える

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子どもが社会に出てはじめて治療が完結する

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