1. 【第12回】ガウディ計画のモデルとなった心臓修復パッチ ~『下町ロケット2 ガウディ計画』×根本慎太郎(大阪医科大学専門教授 同大学附属病院小児心臓血管外科診療科長)~

著者とモデルを直撃! 医療マンガ・ドラマの裏話を教えます!

【第12回】ガウディ計画のモデルとなった心臓修復パッチ
~『下町ロケット2 ガウディ計画』×根本慎太郎
(大阪医科大学専門教授 同大学附属病院小児心臓血管外科診療科長)~

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『下町ロケット2 ガウディ計画』(原作・池井戸潤)
テレビドラマ『下町ロケット ガウディ計画』(出演・阿部寛、今田耕司)あらすじ

『下町ロケット2 ガウディ計画』©『下町ロケット2 ガウディ計画』

佃航平が社長を務める精密機械製造の中小企業・佃製作所は、紆余曲折の末、帝国重工が飛ばすロケットに自社の部品を搭載することになった。数年後、佃製作所は、量産を約束したはずの人工心臓用のバルブの取引が試作品段階で打ち切られ、経営危機に直面する。そんなとき、心臓に埋め込む人工弁「ガウディ」の開発依頼が持ち込まれる。これが完成すれば、多くの心臓病患者を救うことができるという。しかし、開発に携わる大学教授・一村隼人は、かつての上司で学会の重鎮・貴船の妨害によって、治験の認可がおりず、資金も尽きて開発中止の窮地に追い込まれる。佃製作所のつくった人工弁は、実用化に向けたスタートを切れるのか、佃と一村の想いは通じるのか──。

池井戸潤の直木賞受賞作『下町ロケット』と、その続編『下町ロケット2 ガウディ計画』を原作にしたテレビドラマは2015年10月18日~12月20日に放映され、最終回は視聴率22.3%を記録。第87回ザ・テレビジョン ドラマアカデミー賞で最優秀作品賞などを受賞した。

愚直な心臓外科医・一村(今田耕司)のモデルになったのは、大阪医科大学の根本慎太郎氏で、オペシーンや手術器具の使い方などを監修。撮影現場にも駆けつけてモニターを見ながら激励したという。

うまくいかなかったケースの経験を生かしてこそ

根本慎太郎氏根本慎太郎氏

高校2年生のとき、進路を文系か理系か決めなければいけなくなって、本が好きだったので文系かな……、物理が好きだったので物理の研究とか、英語が好きだったので海外に出るのもいいかな、などと考えました。そのうちに、医師という仕事は人間に関わる文系の要素もあるし、研究をすれば科学の要素もあるので面白いかもと思って、漠然と決めたんです。それで、医学部へ行こうとスイッチを入れて勉強しました。

新潟大学に入っても初めは教養課程なので、他学部の学生と一緒の時間が多くて医学生という意識はあまりなかったかな。ところが大学2年になって専門教科が始まり、医学部の建物に行くと、体育館(バスケットボール部)で見ている先輩の顔つきが普段とは全く違うんです。白衣を着ていることもあるんでしょうが、厳粛な雰囲気が伝わってきました。その辺りから医師になるという自覚が出てきたと思います。

さまざまなことに興味があって、専門分野を決めるのにも随分迷いました。初めは脳の仕組みへの興味から神経内科を考えたけれど、当時は診断をできても治すことはできない……。次に心臓を考えましたが、心臓の病気を治すとなると、内科というよりは外科かなと。とくに先天性心疾患の解剖学的問題を治せるのは外科医以外考えられないと思い、一人前になるのが難しいと言われる心臓外科の道を歩むことにしました。

新潟大学に残る選択肢もあったのですが、東京に出てチャレンジするのもいいかと、東京女子医科大学へ進み、心臓外科では成人と小児を交互にローテートしました。7年目でどちらを専門にするか決めなければならないのですが、小児先天性の領域を良く理解せずに誤魔化している自分に気付いたんです。そういう局面に立つと、どうも難しいほうへ難しいほうへと進んでいく傾向があるんですね。医学部を受験するときも、専門分野を決めるときも、そして成人か小児を決めるときも……。

成人の心臓外科は、具合の悪いところを人工弁や人工血管で置き換える、いうなればパーツの交換手術が多いのですが、小児の先天性心疾患の場合は、さまざまな手術方法を考えなければなりません。そこに難しさがあり、やりがいもあります。心臓外科を志す10人がいたら、そのうちの9人は成人の心臓外科へ、小児は1人ぐらいです。小児心臓外科の扱う領域は想像以上に大変で、その分、勉強しなければなりませんでした。

それから20年以上が経過しましたが、今でもさまざまな手術の場面を思い出します。とくに成功したときよりもうまくいかなかったケースのほうです。「ああすれば良かったのか」「あの判断は間違っていなかったのか」と。そして、子どもたちの顔──息がつらく血色の悪い顔、病室で遊んでいるときの顔、見舞いに来た親と楽しそうに話していた顔、そして亡くなったときの顔──はどれも忘れることがないでしょう。

私の次男も染色体異常をもって生まれ、沢山の検査と治療の末、8歳のときに亡くなりました。医師の私が何もしてあげられず、自分の無力さを痛感させられましたが、その経験があるからこそ、手術を受ける子の親御さんたちがどのような気持ちでいるのか、少しはわかるつもりです。

小児の成長に合わせて伸長可能なパッチの開発を持ち掛ける

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「絶滅危惧種」の小児心臓外科医

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