1. 高橋 昌克 医師(釜石市保健福祉部付部長、釜石のぞみ病院医師)
高橋 昌克 医師(釜石市保健福祉部付部長、釜石のぞみ病院医師)

高橋 昌克 医師
(釜石市保健福祉部付部長、釜石のぞみ病院医師)

「安心」を備えた仮設住宅が地域コミュニティの
モデルに

東日本大震災の発生で、被災地のコミュニティは崩壊し、多くの住民がこれまでとは違った生活を余儀なくされました。しかし、新しい住居となる仮設住宅は、入居者同士のコミュニケーションが取りにくいという問題点も抱えています。
そうした中、釜石市では、従来の仮設住宅の欠点を補うべく、東京大学などと連携し、住まい・ケア・生活に必要な機能を配した、新しい「コミュニティケア型仮設住宅団地」を整備しました。特に効果的だったのが、仮設住宅内で展開した独自の医療・介護システムで、今後の地域コミュニティのモデルとしても注目を集めています。このシステムづくりと運営に携わってきた高橋昌克医師に、その特徴、これまでの取り組みから浮かび上がってきた課題や、今後の地域医療を考える上でのヒントなどについてお話を伺いました。(本文敬称略)

プロフィール

高橋 昌克(たかはし・まさかつ)

1990年金沢医科大学病院精神科入局。96年金沢医科大学呼吸器内科学研究医となり、研究医として国立療養所七尾病院等へ出向。
2004年金沢医科大学呼吸機能治療学(呼吸器内科学)学内講師。その後金沢医科大学より出向の形で釜石市民病院副院長、釜石市健康福祉部(地域医療担当)、08年より現職。

被災直後の凄惨な光景に言葉を失う

― 高橋先生が釜石市で地域医療に携わることになったきっかけからお聞かせください。

高橋 私はもともと金沢医科大学で呼吸器内科学に所属し、睡眠の研究・指導を専門としていたのですが、平成18年から釜石市民病院と岩手県立釜石病院の統廃合のお手伝いで、釜石市に赴任することになりました。釜石市から医師派遣の要請を受けた当時の小田島粛夫理事長(金沢医科大)から指名されたのですが、早いもので、それから今年で8年になります。

赴任当初は市民病院の副院長に就任、統廃合後は市の保健福祉部付部長および釜石のぞみ病院(統廃合後、慢性期疾患・療養型機能を継承)の医師という立場で、普段の診療はもとより、医療圏内の地域医療の再構築に協力してきました。ちょうど、その仕事が軌道に乗り、古巣の金沢医科大学に戻る時期も目前に迫っていた矢先、東日本大震災が発生したのです。

― 高橋先生も釜石で震災に遭われたのですか。

高橋 私は金沢で開かれる研究会への参加のため、立ち寄った大宮市で大震災に遭いました。私自身は難を逃れることができましたが、衛星回線を使って市と連絡をとると、壊滅的な被害を受けた上に、医療現場では急性期の医薬品が不足していることがわかりました。
急いで金沢医科大学に赴き、段ボール10箱の医薬品をピックアップして、3月17日に釜石市に駆けつけました。テレビの報道を遥かに超えた、凄惨な被災地の現実に言葉を失いました。がれきの下には、まだ収容されていないご遺体も数多くありましたからね。そうした中で、医療行為に奔走しました。

東京大学と連携し「コミュニティケア型仮設住宅」を建設

― その後に、新しいタイプの仮設住宅の建設、運営にも携わることになるわけですね。

高橋 4月末のことだったと思います。東京大学高齢社会総合研究機構の特任教授で、金沢医科大学の客員教授でもあった 哲夫先生から、突然電話がありました。「相談したいことがあるから、至急東京まで来てほしい」と。
まだ、自衛隊が幹線道路を閉鎖していた時期でしたが、緊急車両で通行して、何とか東京大学に到着すると、先生を中心に、各学部の研究者が私を待ち構えていました。そこで受けた提案が、医療・介護、商店街などの機能を併せ持った、自己完結型の仮設住宅団地の建設だったわけです。

先生をはじめ研究者の皆さんの必死の訴えを受けて、私が仲介する形で、すぐに市長との会談の場をセッティングすると、市長もぜひやろうと。それで、東京大学高齢社会総合研究機構のプロデュースのもと、市の平田地区に「コミュニティケア型仮設住宅」の建設がスタートすることになりました。

― 従来の仮設住宅との違いはどこにありますか?

高橋 最も大きなポイントは、入居者コミュニティの充実と、医療や介護施設へのアクセスのしやすさ。全240戸のうち、介護や見守りが必要な高齢者のために60戸のケアゾーンを整備したほか、住宅団地の中心には診療所やサポートセンター(介護拠点)、商業施設などを設置。建物と建物の間もウッドデッキでつなぎ、バリアフリー化を実現したほか、各戸の玄関を向かい合わせの配置にし、入居者同士の交流促進も図りました。

― 高齢者を意識した仮設住宅というわけですね。

高橋 釜石市は若い世代の流出が顕著で、高齢化率が高い地域。被災した高齢者への対策が喫緊の課題となっていました。特に懸念したのは、阪神・淡路大震災において、長期にわたる仮設住宅での生活により、多くの方が孤独死や自殺で亡くなられたという事実。その要因の一つが、緊急避難、応急措置として整備された従来の仮設住宅の形態にありました。生活者のコミュニケーションが取りにくく、日用品の買い物にも不便だったのです。それが、高齢者の閉じこもりや要介護者の増加などを招いたとも考えられます。

平田地区の「コミュニティケア型仮設住宅」はその欠点を補った新しいコンセプトの仮設住宅です。家族や友人を失い、家を流された被災者が、再び元気を取り戻せるよう、住まい・ケア・生活に必要な機能を一体的に整備しているほか、住民自治会はもとより、ここにかかわるすべての職種の参加のもと、まちづくり協議会を立ち上げるなど、コミュニティの充実にも取り組んでいます。

多職種連携による高齢者ケアシステム

― 医療・介護システムも充実しているとお聞きしています。

高橋 「医療」の分野では、私たち釜石のぞみ病院の医師が診療所を運営。週3日の外来診療や不定期での在宅診療を実施しているほか、臨床心理士も常駐し、メンタルケアも併せて行っています。
「介護」分野としては、民間の介護従業者が中心となって介護保険事業や、配食サービスなどを担っているほか、朝晩2回、各住宅を回り、声掛け活動を実施。イベント時には、閉じこもりの傾向がある高齢者に声を掛けて誘い出したりしています。これらの業務は、看護師や介護士、ライフサポートアドバイザー(LSA=生活援助員)が担当しています。

このシステムを形成するに当たっては、5月の時点から8回にわたって研修を行うなど、サービスを提供する担い手の育成にも努めました。ただ、そうはいっても、現場はそのつどさまざまな問題が発生するものですが、そうした際には臨床心理士をはじめ、さまざまな職種のスタッフが機動的に対応してくれていますし、多職種の連携もスムーズです。

― 実際の効果についてはいかがですか。

高橋 これらの医療・介護システムが稼動したのは、2011年の11月末。この仮設住宅団地がオープンして3か月後のことでした。実はその3か月間は、救急車の緊急搬送件数が月に7、8件あったのですが、それ以降は1、2件。医療・介護システムが機能した成果だと考えています。
特に、身近に診療所があることの心理的な安心感は大きかったようです。「翌朝になれば、医師やスタッフの皆さんが診てくれる」との思いがあるから、ちょっとした風邪程度では、救急車を呼ばなくなったのだと考えています。

― なるほど、安心感を与えられたことが大きかったわけですね。

高橋 その通りです。実際、この診療所も心電図がある程度で、医療施設としては貧弱で、できる医療行為も限られますが、それよりも医療者が身近にいて診てくれるということで、とても頼りにしてもらっています。さらに、介護も充実しているし、精神的なケアがしっかりしているのも大きい。
そのおかげで、うれしい誤算ですが、診療所を利用する人の数もぐんと減りました。懸念していた自殺件数はゼロ。ほかの仮設住宅団地に比べて、精神科医の介入件数も圧倒的に少ないのが特徴です。

サポートセンターに寄せられる相談も、ほかの仮設住宅では、震災によって生じた精神的な問題がほとんどなのですが、ここではそうした傾向はみられません。医療、介護、コミュニティが連携して、生活者にふさわしい環境をつくった成果なのではないかと考えています。

今後の地域コミュニティのモデルとして全国で役立ててもらいたい

― この経験は今後の日本の地域医療を考える上でも大事なポイントになるのではないでしょうか。

高橋 全国、あらゆる地域で高齢者の割合が増えている箇所が多いです。社会保障の資源も限られる中で、医療・介護に重点を置いた地域コミュニティを、どう作っていくかは、必ず問われてくる問題です。
これまで医療といえば、ハード面ばかりが重視されてきたきらいがありますが、大事なのは多職種連携のサポートによってもたらされる安心感です。このコミュニティケア型仮設住宅団地の取り組みは、そうした新しい方向性、有効性を提示することができたのではないか。そう思っています。

― ここでの取り組みが一つのモデルとなるということですね。

高橋 今後の医療提供を考えるうえで、ここには生かすべき情報が詰まっていると思います。ましてや、日本は地震国ですから、今後、震災が起こった際の復旧・復興を考える減災対策の手助けにもなるはずです。
もちろん、ここは、国の支援も受けていますから、ほかと比べて人材面でも施設面でも行き届いているのは確かです。財政的な面も考えると、被災地以外で、このコミュニティのように行うのは難しいかもしれない。しかし、個々のパーツをうまく組み合わせることで、大きな効果を生み出せると考えています。

今、私が考えているのは、そのための参考資料として、多くの材料を提供していくことです。それも、より明確な形でデータとして残していこうとしています。とかく、こうした取り組みや経験は印象論や感覚的な表現で語られることが多いように思いますが、それではなかなかほかの地域で参考にしにくいでしょうからね。
日々の診療と並行して、その作業を進めるのが、私の当面の目標です。

文・成田春樹、Photo by S.Shimizu