1. 小早川 義貴 医師(国立病院機構災害医療センター臨床研究部)
小早川 義貴 医師(国立病院機構災害医療センター臨床研究部)

小早川 義貴 医師
(国立病院機構災害医療センター臨床研究部)

避難住民の不安軽減と健康管理全般に対応する
『よろず健康相談』を発案

福島第一原発の事故により、今も多くの住民が避難生活を強いられている福島県。復興の青写真を描き、医療施設の整備に向けて歩を進めつつある岩手・宮城と比較して、地域住民・避難住民の医療対策は、まだ混迷している感は否めません。
その福島県下で震災後、住民一時立ち入り対応で現地に入り、その後、県内の避難施設や市町村、病院等を回り、避難住民や地元機関の支援活動をしている医師がいます。厚生労働省DMAT事務局のスタッフでもある小早川氏の福島に根ざした活動を通して、地域医療の課題を考えます。(本文中、敬称略)

プロフィール

小早川 義貴(こばやかわ・よしたか)

2004年3月島根医科大学医学部医学科卒業後、島根県立中央病院で初期臨床研修医、後期臨床研修医(救命救急科)。
2009年4月島根県立中央病院救命救急科医長、2011年4月島根大学医学部微生物・免疫学講座、2011年7月国立病院機構災害医療センター臨床研究部、厚生労働省DMAT事務局。

きっかけは避難住民の健康診断

― まず、今の取り組みを始められた経緯からお話しいただけますか?

小早川 震災時にはまだ島根にいました。震災から一週間後、島根県の医療救護班として宮城県に行き、主に避難所の医療を担当していました。
福島県に来たのは災害医療センターに異動し、住民一時立ち入りで広野町に通った震災の年の七月からです。災害医療センターの上司たちが、急性期から福島で活動をしており、その流れで福島の仕事をすることになりました。

一時立ち入りの仕事が一段落した震災から一年後の三月、福島県飯舘村を訪問しました。研修医や医学生向けに災害医療研修プログラムをつくるためです。一週間かけて県内さまざまな場所を回りました。病院や診療所だけでは災害医療は実践できませんから、医師会や役場、農家、幼稚園などへも行きました。
その中で、飯舘村の健康係長さん(当時)が「私たちが学生に話してもよいけども、住民の健診があるから、そこで住民の相談にのってもらう方がよいのでは」とご提案をいただきました。健診は五月ということで急いで準備をして、五月末からの六日間、健康相談を行いました。一時立ち入りでも多くの住民に出会うものの、話を聞く機会はあまりなかったのですが、飯舘村の健診受診者千三百八十三人のうち百四十人の話を聞いて、これはまだまだ大変だとようやく実感しました。

― 『よろず健康相談』というネーミングはどこから来たのですか。

小早川 当時は多くの住民が放射線の心配をしているので「放射線健康相談」でいいじゃないかという意見もありました。でも放射線の話を聞くのに「放射線」を看板に出しても住民は来ないかもしれないし、震災から一年経ち、放射線だけが問題じゃないはずということで、いろいろな相談の窓口という意味を込めて「よろず」という名前をつけました。外部の我々だけでは長続きしないので、福島県立医科大学を主催として、多くのご協力をいただきました。

― 具体的な活動の内容を教えてください。

小早川 よろず健康相談では、市町村の特定健診の際に相談窓口をおき、そこでさまざまな相談を受けています。
特に原発周囲の市町村は、これまで毎年自分の町村でしていた健診を、震災後は避難先で行うことになったので健診の運営自体が大きな負担です。
我々も相談だけではなく、学生や研修医と一緒に会場の椅子並べや相談に来た住民の案内・誘導を手伝いました。

そのおかげで保健師の皆さんとの信頼が深まったと思います。よろず健康相談の重要な点は、相談業務にとらわれず、保健師や住民の話を聞き、それに合わせて実際のオペレーションを追加、変更していく点にあります。一緒に何かをしていれば何らかの関係性が芽生える。そういうことが大事だと思っています。
災害は人々のつながりを切ってしまうので、ただそこにいることだけでも大きな意味を持ちます。

生活の変化がもたらす避難住民への影響

― 活動の中で気付かれた生活スタイルの変化の影響はいかがでしょうか。

小早川 ある時、保健師さんにこう言われました。「今、避難住民の日常生活が壊れている中で『規則正しい生活習慣や食生活が大事です』と指導しても説得力がない」と。
自分たち医師はどうしても、ものごとを医療の問題に置き換え、解決策を提案したり模索したりしますが、そうした方が話が簡単だからなんですね。扱い慣れている。でも、住民の不安や健康影響は医療を超えたところに根ざしているわけです。
仕事はなくなったけれど、とりあえず衣食住は足りている。でも、日々取り組むべきことがない。しかも知人が少ない町の慣れない環境下で。こういう日々を過ごすのですから、当然一部の人に影響が出始めているんです。

― それが「生活不活発病」ですね。

小早川 震災関連死としてカウントされている人が二千七百人くらいいます。その半分を福島県の人が占めています。市町村別では、南相馬が最多ですが、これを人口で割ってみると、川内、葛尾、双葉、浪江、楢葉、富岡、飯館で発生件数が多い。これはよろず相談で私たちが回った自治体です。

震災関連死の影響は、避難生活を続けている市町村で大きいということです。震災関連死の端緒となるのが生活不活発病ではないかと推測しています。仕事を失っただけでなく、寄り合いなどでの住民同士の会話、通い慣れた医療施設でのコミュニケーションなどの地域コミュニティが失われたわけです。
その結果、住民の社会参加や活動が低下し、心身機能が低下することで生活不活発病となってしまいます。

― 衣食住が足りているだけではいけないということですね。

小早川 そういうことです。その逆説的な証明として、こんな例もあります。今、除染が終わって郷里に帰ってやり直そうという人、あるいはそれを諦めて、避難先に家を建てて再出発しようという人が少しずつ出始めています。
すると、やはり変わる人が多いんです。前向きな目標ができたことで生活不活発病が影をひそめるのです。

複雑な状況の中で見逃されがちな避難住民の健康問題の深刻化

― 避難生活を規則正しく過ごすことで、生活不活発化が解消されることはないのですか。

小早川 そこが難しいところです。規則正しく過ごすことも、生活不活発病予防の一つの因子にはなると思います。
しかし、狭い仮設住宅や借り上げ住宅、自分の役割のなくなった社会で規則正しく過ごすことは本当に難しいことでしょう。朝、早起きしてもすることがない。夜、早く寝ても翌日することがなければ、早起きはしなくなるでしょう。

引きこもり気味の生活から脱却してもらうおうと、支援者が体操教室や季節の催事などで仮設住宅を訪問することがあります。私も当初は生活不活発病対策=体操をさせること、と思っていました。体操やイベントは意味のあることですが、これもそれだけでは生活不活発病対策になりません。
生活不活発病は暮らしの問題ですので、支援者は、被災者や地域が自立する過程を邪魔しないようにすること、その場にしっかりいること、そして必要な時には静かに支えること。言うのは簡単ですが、具体的な対応は本当に手のかかる作業だと思います。

― 福島県は除染作業、原発の廃炉に向けた作業、そして避難生活、さまざまな問題が絡み合った状況で、解決の道筋がなかなか簡単には見つからないように思いますが。

小早川 福島は二〇一三年春の時点で、十五万人弱が避難していると言われています。二百万の県民の約七%です。この比率をどう捉えるかです。私は非常に重い数字だと思います。
時々「今の先生の仕事はDMATの仕事ですか」と問われます。確かに今はDMATとして派遣要請があって仕事をしているわけではありません。DMATは阪神淡路大震災後、急性期の医療ニーズを充たすためにつくられました。

当時はクラッシュ症候群や外傷、熱傷が大きな問題でした。災害医療の最終的な目標は、防ぎえる災害死を撲滅することです。震災から二年以上も続く避難生活がもとで生活機能が低下し、それにより震災関連死が発生するのであれば、今の福島で活動することは、災害死を防ぐというDMATの重要なコンセプトと一致します。
もちろん、一瞬にして解決策が生まれる課題ではありません。この地で起こっている問題を感じ、正解を模索しながら対処していく覚悟が必要かもしれません。

― 震災前までは、別の道に進もうと考えていたそうですね。

小早川 前任地の島根県立中央病院では重症の感染症患者さんに出会うことが多く、救急をしながら、島根県保健環境科学研究所で微生物の研究をしていました。指導していただいた福島博先生の退職に伴い、母校である島根大学大学院へ入学したのが震災の年です。
ただ、被災地で見聞きして感じた自分の思いや指導教官(冨岡治明教授)の応援もあり、二〇一一年の七月に今の職場にお世話になることになりました。島根時代に集めた細菌たちは島根でまだ凍らせてあります。
福島が落ち着けば、解凍してまた実験をしたいと思いますが、もうしばらくは凍らせておくことになりそうです。

― これからの目標を教えていただけますか。

小早川 福島でいつも一緒に仕事をしている看護師の小塚さんをはじめ、一緒に活動してくれる人々が少しずつ増えてきました。これはありがたいことです。小塚さんとは徹夜をして、よろず健康相談の看板をつくりました。
救急もチーム対応が基本ですが、災害医療も決してひとりではできません。
自分自身、震災後、災害医療をしたいと思ってもどこに行ってよいか分からなかったし、まだ全国には、福島の現況を知って手伝いたいけど、どこに行けばいいのか分からないという人も多いので、一緒に働けるよう作戦を練りたいと思います。

今の福島において放射線の問題は重要で、しっかり対応しなくてはいけませんが、それと同等に重要な問題もたくさんあります。そのほとんどは島根にもあった問題です。
全国のこれまでの地域医療や災害医療に学び、今、福島で起こっていることに丁寧に対応すること。
それが全国の地域医療のヒントになり、次に起こる災害への対応にもなると確信しています。

文・雑誌「DtoD」編集部、Photo by S.Shimizu