1. 原澤 慶太郎 医師(南相馬市立総合病院勤務)
原澤 慶太郎 医師(南相馬市立総合病院勤務)

原澤 慶太郎 医師
(南相馬市立総合病院勤務)

原発事故の影響による超高齢化社会の縮図に直面した南相馬市立総合病院の決断

東日本大震災による津波と原発事故で二重の被害を受けた南相馬市。特に原発事故の影響は甚大で、避難による大幅な人口減少の副産物として、急激な高齢化に見舞われています。
その結果、南相馬市の中核医療施設である南相馬市立総合病院も、一時は常勤医師が従来の半分以下の4人という非常事態に陥ります。その状況に全国の医療機関から支援の手が集まりました。
なかでも、亀田総合病院家庭医診療科から出向した原澤慶太郎氏は、現地スタッフとの協力体制の中、これまでにない地域医療への取り組みを続けています。今の南相馬は未来の日本の映し絵と語る原澤氏にお話を伺いました。(本文中・敬称略)

プロフィール

原澤 慶太郎(はらさわ けいたろう)

1980年生まれ。2004年慶應義塾大学医学部卒。
亀田総合病院にて初期研修後、同院にて心臓血管外科後期研修医、(財)心臓血管研究所付属病院出向。
手術と当直の日々を送っていたが、加速する高齢化社会において、「地域医療が抱える社会的問題への挑戦が、医師にとって最大のフロンティアである」と確信。
医師7年目に家庭医へ転身、亀田総合病院家庭医診療科後期研修医となり、2011年11月より福島県南相馬市立総合病院出向。仮設住宅での予防接種事業を展開、2012年4月に在宅診療部設立、現在に至る。

急激な高齢化によって引き起こされたさまざまな社会変化

― 南相馬市立総合病院に出向されて間もなく3年目。
南相馬市の状況について教えてください。

原澤 東日本大震災前の南相馬市の人口は約7万1000人。それが原発事故の影響で、一時はおよそ8000人にまで減少しました。
現在は4万8000人程まで回復してきたとはいえ、戻ってきたのは大半が高齢者。子育て世代を中心に、働き盛り世帯の約半分は、都市部へ避難したまま戻ってきていません。

その結果、何が起きているかというと、急激な高齢化です。高齢化率は26%から32%まで跳ね上がりました。これほどの短期間で高齢化した例は、他の自治体ではないと思います。
当然、高齢化に対応するインフラや社会の仕組みも未整備のまま。これまでのやり方、ルールでは解決できないさまざまな問題が露呈し始めました。

特に深刻なのが医療・介護従事者の不足。従来から、この地域は医師数が不足している「医療過疎地」でしたが、震災以後、さらに多くの医師や看護師、ヘルパーなどが地域を離れてしまいました。
私が出向した南相馬市立総合病院も医師数は14人から4人まで減少していました。現在、医師は震災前を上回る21人まで増えましたが、看護師不足は改善されていないため、病床をフルに稼働できる状態ではありません。このように、原発事故は南相馬市に、数多くの社会変化をもたらしました。

― そんな南相馬市での医療活動を志された理由は。

原澤 「原発事故」という、極めて特殊な状況であるゆえに、南相馬市で起こっていることは、この地域固有の問題ととらえる向きもありますが、私は日本全体の問題と考えています。高齢化問題一つとってもそうでしょう。
国立社会保障・人口問題研究所が2040年には、65歳以上の人口が40%以上を占める自治体が半数近くになると予測しているように、南相馬市で起きている高齢化現象は、これから多くの日本の地域が経験することです、他人事ではありません。
南相馬市は、日本の各地域の20年後、30年後を先取りしているわけです。そう考えると、この地域が抱える問題解決への挑戦は、医師にとっての最大のフロンティア。その最前線に立って、さまざまな医療支援を行いたい。それを通じて、私自身も多くの学びを得たい。そう考えて2011年の11月、勤務していた亀田総合病院から南相馬市立総合病院へ出向させていただくことにしたのです。

避難住民の事情を優先し仮設住宅での出張予防接種に奔走

― 現地に入り取り組んだことは。

原澤 当初から懸念していたのは感染症の蔓延でした。仮設住宅は高齢者が多いし、各世帯が密着している。さらに、住民は被災し、避難所生活を経ているために、心身の疲労度も高い。ひとたび感染症が起きたら、爆発的に流行してしまうことは明らかでした。

そこで、ワクチン接種が何よりも必要と判断。既に11月でしたから、流行時期を考えると、もはや残された時間は少ない状況でした。
限られた時間の中、現実的な方法は、仮設住宅集会所でのワクチン(インフルエンザ並びに肺炎球菌ワクチン)接種でした。
早速、この地域の伝統的な祭り「相馬野馬追」にちなみ「OperationNomaoi」と称した出張予防接種事業を計画したのです。

― 計画は順調に進んだのですか。

原澤 当初、市役所の担当課からは難色を示されました。「市としては協力できない」と。前例がない事業だったというのが、反対の大きな理由でしょう。
でも、あきらめませんでした。改めて、住民たちはもちろん、約30人にわたる仮設住宅の自治会長にお会いして、ワクチン接種の必要性を説明。同時に、当時の南相馬市医師会の会長にも直談判したところ、「ぜひ頑張ってほしい」と激励を受けました。

必要なワクチンは日赤や亀田総合病院の協力をとりつけ自ら調達。医師、看護師、病院の事務職員、社会福祉協議会にも協力を呼びかけ、チームを組織し、年内に、延べ2000人にワクチン接種を実施することができました。以来、この事業は毎年実施しています。

― 翌年の4月に、在宅診療部を新たに設けられましたね。

原澤 患者さんの中には医療サービスを受ける必要があるのに、通院が難しい方もいます。しかも、入院しようにも、病院のベッド数は限られている。そうなると、在宅医療が占めるウェイトは当然大きくなります。南相馬市には、在宅医療を手掛ける医療機関はほとんどなかったことから、院長に立ち上げを提案しました。

現在、私を含め3名の医師で切り盛りして、定期的に約30人の患者さんのもとへ、訪問診療を行っています。ただし、これは「病院から在宅へ」という現在の医療界の流れに沿ったものではありません。中には在宅を希望しても、それを支える家族がいないためにできない人もいる。これが、現実ですから、在宅一辺倒の考えには無理があります。従って、矛盾するようですが、私は在宅診療部の設立にあたって、10床のベッド確保を院長にお願いしました。

患者さんご自身はもとより、ご家族に何か突発的なことがあれば、病院全体で対応できる環境を整えたかったのです。私たちが目指すのは、医療機関、介護施設など従来の医療・介護体制の中に、在宅診療をリンクさせ、仮設住宅でも自宅でも、どこでも生き生きと暮らし、さらには看取りまでできる地域社会の実現。そこに照準を置いています。

「わか者」「ばか者」「よそ者」が物事を変えていく

― 原澤先生は診療にとどまらず、さまざまな関係者と連携し、地域社会全体を見据えた活動を推進されていますね。

原澤 私はあくまでも医師ですが、「診療」という専門的な領域だけ行っていれば、この地域の問題が解決できるかといえばそうではありません。
実際、医師だけで地域医療は成り立ちませんしね。俯瞰して地域を眺め、どういうメンバー、スキル、システムがそろえば、この問題が解決できるかを考える。足りないものがあれば、それを取り寄せる。必要な人を呼び寄せる。そのようにトータルデザインをした上で、新しい仕組みを導入する役回りも担っています。

― 皆さんの反応はどうでしたか。

原澤 なぜ自分がそうしたことをやっているかというと、「よそ者」だからです。ここで生まれ育っていないからこそ、言えることもある。さらに、他者に対する好奇心を軸に、住民の皆さんと交流することで、人の輪をどんどん広げていける。『相馬野馬追』にも参加して鎧甲冑を身につけ馬にまたがりました。住民の皆さんにとても喜んでいただきましたよ。

自ら一歩踏み出し、地域に溶け込むことで、やれることはどんどん増えてくるのです。私が若いということもあるでしょうが、地元で開業されている先生方にもとてもかわいがっていただいています。おかげで、いい連携ができています。
「わか者」「ばか者」「よそ者」が物事を変えていくというのは本当ですね。

― 先生が担当しているプロジェクトは13件に及ぶと聞いています。

原澤 仮設住宅の生活による心理的ストレスで持病が悪化する方がいます。特に男性は、仮設住宅から出てきてくれません。それを改善するプロジェクトも進めています。
集会所でお茶会を開くからと誘っても、参加者は女性ばかりという状況です。ところが、「こういうことをやってくれませんか」と役割をお願いすると「じゃあ引き受けようか」と重い腰を上げてくれる。さらに、名刺をつくってあげると、途端に生き生きとして、住民とのコミュニケーションの輪に加わります。

要は、いかにその人に合ったアプローチを行い、コミュニティとの接点、居場所をつくってあげられるかがカギです。今は、仮設住宅の男性に木工品をつくってもらい、子供たちに提供したり、ブランディングして東京で販売したり、市内の木工所関係者や社会福祉協議会を巻き込んだ仕組みもつくっています。

医療の枠を超えた高齢化対応の地域づくりのモデルをアジアに広めたい

― そうした活動の一方で、市民にICカードを配布する構想も進めていますね。

原澤 患者の基本情報や病歴、服薬歴、さらには放射線量の測定データなどを盛り込む、ローカル版マイナンバーを想定しています。既に「市民ICカード構想」ということで、政府の予算化にも成功。
今冬から実証実験を行い、再来年度からの導入を目指しています。
さらに、オムロンヘルスケアと共同で血圧測定事業も推進しています。自宅で血圧を測定すると、自動的に共有サーバーに保存されて、かかりつけの医師が健康状態を常に把握することができるシステムです。

テクノロジーの導入は地域にイノベーションを起こす大切な要素。その進化のスピードは私たちが思っている以上に速いので、常にキャッチアップしていかなければいけません。

― 今後の展望について教えてください。

原澤 大きな目標は二つです。一つはこの地での医療行為のレベルアップと継続性。自治体病院が生き残るためには、いかに若手医師に対して、高いレベルの教育を施せるかにかかっているでしょう。
その意味で、南相馬市立総合病院は、さまざまな関係者の尽力により、臨床研修病院として、初期研修医を自前で育てることができるようになりました。これは大きな一歩です。

さらに亀田総合病院から2年目の医師1名が毎月研修で来院できる仕組みができ、毎月のように全国の医学生からも見学の申し込みがあります。若手医師に対する教育システムが複層的に構築されているのは、現在の医療体制を維持する上で極めて重要なポイントです。出向中の私がここを去るときまでに、地域連携の新しい形をトータルデザインしたい。
同時に、地域の立て直しも兼ねて、ヘルスケア領域で雇用を生み、ゆくゆくは高齢化対応の地域づくりのモデルを築きたい、これが二つ目の目標です。

世界有数の高齢化社会である日本が、どのように乗り越えていくか、世界中が注目していますから、やりがいは大きいですね。ぜひ成果を出して、将来的には「南相馬モデル」を、ASEAN各国に輸出できるようになれば最高ですね。
未踏の領域を切り拓くパイオニアでありたいという私の信条とも合致しますし。

文・成田春樹、Photo by S.Shimizu