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菅谷 啓之 船橋整形外科病院 スポーツ医学・関節センター長
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菅谷 啓之

船橋整形外科病院
スポーツ医学・関節センター長

熱中の果てに、どんな景色が広がるか。
肩・肘痛治療への情熱が、きっといつか、
そこに連れて行ってくれるはずだ。

千葉県船橋市にある船橋整形外科病院スポーツ医学・関節センターのセンター長/菅谷啓之氏は、 腱板断裂など、関節の痛みに対する関節鏡視下手術の名手として知られる。
週に3コマの外来担当日には、待合室に、同氏の得意とする 肩・肘痛の悩みをかかえた患者さんが文字どおりあふれんばかりだ。
一般患者から怪我に悩むアスリートまで、日本全国から多様な症例が集まり、 この分野では国内有数のボリュームセンターといえる実績を残している。

プロフィール

菅谷 啓之(すがや・ひろゆき)

  • 1987年 千葉大学医学部卒業
  • 1987年 千葉大学医学部整形外科入局
  • 1996年 学位取得、アメリカ留学(フロリダ州ウエストパームビーチ、
    オルソペディック・リサーチ・ラボにて、スポーツバイオメカニクスの研究)
  • 1997年 川崎製鉄健康保険組合千葉病院
    ( 現 医療法人社団誠馨会 千葉メディカルセンター)整形外科部長
  • 2002年 船橋整形外科病院 スポーツ医学センター部長
  • 2008年 東京女子医科大学整形外科教室非常勤講師
  • 2011年 ハワイ大学医学部解剖学教室客員教授(現職)
  • 2013年 船橋整形外科病院 肩関節肘関節センター長
  • 2014年 東京女子医科大学整形外科客員教授(現職)
  • 2016年 船橋整形外科病院 スポーツ医学・関節センター長(現職)
  • 2018年 千葉大学整形外科臨床教授(現職)

>菅谷 啓之(すがや・ひろゆき)

熱中すると、とことんやる
医学生時代はその対象が野球、
ウインドサーフィン、スキーだった

船橋整形外科病院

菅谷啓之という人物の来歴をひもとくと、「熱中」が重要なキーワードだとわかる。

「自覚したのは医学部入学以降ですから生来のものかどうかはわかりませんが、熱中するととことんやるという性向が、あきらかにあります」

野球は、投手として東医体(東日本医科学生総合体育大会)準優勝を勝ち取るほど。ウインドサーフィンは、インストラクター資格取得。ウィンタースポーツには縁遠い千葉県在住なのになぜか、スキーにも熱中し1級ライセンスまで取ってしまった。研修医時代には、手ほどきを受けてからたった2年で、パープレーでラウンドするほどゴルフの腕前を上げた。

「つまりは、勉強以外のあれこれに注力していたわけで、医学生としては超がつくほどの劣等生でした。毎年落第すれすれの成績で綱渡りでしたし、母校の整形外科医局でもかなり冴えない研修医だったと思います。

『そのゴルフへの情熱を、医学に向けろよ』と、何人かの上司、先輩からたしなめられたのを覚えています」

笑いながらそんな回想をしてくれた菅谷氏の医師人生の転機は、ほんの些細なやりとりに端を発した。

「研修医時代のある日、先輩医師に『ピッチャーの肩痛はどう治すんですか』と質問したのですが、はっきりした答えがありませんでした。私自身、野球部時代に肩痛を経験していたこともあり、素朴な疑問として訊いたのですが――」

治療法が確立していない未開のフィールドが、こんな近くにあった!

「ならば自分で切り拓いてみようと、俄然やる気が湧いてきたのです」

つまり、肩痛への熱中が開始されたわけだ。

熱中は才能か性格か
課題にいかに取り組むかが大事である

外来を受け付ける船橋整形外科クリニック。
船橋整形外科病院に隣接する。

「熱中」という言葉の解釈をめぐって、インタビュアーと菅谷氏の間にひとしきりの問答があった。熱中を「才能」と解釈し、そう投げかけると、少し眉間を寄せてのち、こう返ってきたのだ。

「才能、というより性格ですよ、これは」

野球、ウインドサーフィン、スキー、ゴルフ、何をやっても短期間で上達し、結果を残す――センスのいい人物、つまり才能。そんな受け止め方は、少々、本人の感覚と違うようだった。

「熱中すると、上達したいから『あれをやらなきゃ』『これをやらなきゃ』といろいろな課題が出てくるじゃないですか。それにどう取り組むかといえば、『コツコツと』以外にありません。どれに熱中した時も、いつもそうです、私の場合は。ですから、才能というより性格。熱中しちゃうし、コツコツやっちゃう性格なのです」

天賦の才で、何をやってもうまくいってしまう――たぶん、そんな安直さは不本意なのだ。熱中とはつまり、好きになって、執着して、コツコツ努力するのが当然で、成果は決して一朝一夕に降ったり湧いたりするものじゃない。そう正された気がし、深く納得した。

開拓者の精神で
教科書に従うだけでなく、
常にトライ&エラーを心がける

肩痛治療のためには手術と保存療法の2系統を学ぶ必要があるとわかり、明確な目標を立てることができた。手術に関しては低侵襲な関節鏡を学ぶべきだともわかった。

「時折、海外で『君の関節鏡の師匠は誰だ』と聞かれるのですが、『独学だよ』とこたえると驚かれます」

関節鏡に関しては、アメリカ整形外科学会に毎年足を運び、ネットを駆使して資料映像を集め、まさにコツコツと、そして集中的に学んだとのこと。1996年に学び始めて、2000年頃にはもう、最新の発表を読んでも物足りなさを感じるようになっていた。

「理解が深まるにつれ、関節鏡というものが内包する可能性の大きさにどんどん魅了されました。

当時、その最先端を走るのがアメリカの学会でした。しかし、そのアメリカにある技術でさえまだ、可能性を引き出し切れていないのだとわかってきたのです」

この長足の進歩の要因は、常に自分なりの工夫を凝らす勉強法にあったらしい。

「ただ教科書に従うだけでなく、許される範囲でのトライ&エラーを心がけました」

そしてついに、1998年には、それまで関節鏡不適応とされていた肩関節不安定症、肩腱板損傷を関節鏡で治療すると宣言し、見事に実現してみせたのだ。

さらに、関節鏡運用の可能性を追求した結果、臨床研究の成果も手にするようになった。肩痛を訴える患者の関節の骨がどんな状態か、どんなかたちかをリサーチしてみると……。

「肩の外傷性不安定症には、関節の皿のかたちがノーマルなもの、削れているもの、欠けているものの3タイプがあると判明しました。

レントゲン技師の協力を得て、現在のマルチスライスCTレベルの立体的な画像を撮る作業を積み重ね、100例を収集、解析を試みました」

その解析結果を、2003年に論文発表。世界中の専門家が新たなスタンダードとして受け入れることになった。2005年頃には、海外から講演依頼が舞い込むようになっていた。

肩痛治療、関節鏡技術に関して遅れをとっていた日本の医療界が、この時に大いなるキャッチアップを果たしたと言っても過言ではない出来事だった。

患者さんの訴えをちゃんと聞ける
それができている臨床医は、
どれほどいるのか

診察時には2名のスタッフがカルテ等を記入。菅谷氏は診察に徹することでより多くの患者さんを診ることができる。

菅谷氏の肩・肘痛の専門家としての見識を示すコメントを紹介する。

「肩・肘痛には、4種類の原因が考えられます。(1)構造に起因する場合、手術を実施します。(2)機能に問題がある場合はリハビリテーションへ送ります。(3)炎症が起こっていれば薬物療法や注射療法をおこないます。(4)心が関わっていると判断すれば整形外科に心身医療を取り入れている専門家に紹介します」

整形外科医というものは、まず手術ありき――「そう思われるのは、心外です」とのひと言が添えられた。

「たしかに整形外科のパブリックイメージのとおり、手術中心になる領域もありますが、私が専門とする肩・肘痛はそうではありません。当センターの肩・肘痛部門の約8割は外来と保存療法で、手術適応は2割前後にすぎないのですよ」

この領域における良医の条件は――

「第一に、患者さんの訴えをちゃんと聞けることです。それは医師として当然のことと思われるかもしれませんが、心がけとして忘れてしまっている臨床医が多いように感じますね」

まず、心がけ論として釘を刺す。それだけでも「関節鏡の第一人者」という横顔とのギャップが新鮮なコメントだが、味わい深いのは、このコメントが技術論にもなっている点だ。「ちゃんと聞ける」は「ちゃんと鑑別できる」を意味していて、それには「ストーリーづくり」の技量がなくてはならないということなのだ。

その解説まで聞くと、まるで自分が患者として感じるような納得と安心感が膨らんだ。

「ストーリーとは、患者さんそれぞれの、損傷に至った物語です。痛みの生じた原因を探り、機能改善の道を探るメソッド=『ストーリーづくり』を修得していれば、患者さんの言葉を引き出し、人間観察し、可動域テスト(触診)をすることで、ほぼ鑑別できます。必要であれば患部画像の読影を入れて、ほぼ間違いなく診断できます」

4種類の原因の4番目に挙げられていた「心が関わっている」には、新鮮な驚きがあった。よく考えてみれば、痛みには心因性のものもあるはず。ただ、整形外科で、そこまで視野に入れた診断をしてくれるとは知らなかった。

「絶対に必要な視点ですね。心身相関のケースはすぐにわかりますから、速やかにそちらに紹介します。心身医療もできる整形外科医やペインクリニックにネットワークをもち、いつでも相談にのってもらえる体制にしています」

患者側からすれば、これほど頼りになる医療機関はないと感じるだろう。

そして、自然発生的に生まれた「菅谷系」
SNSで交流し、手技トレーニングで切磋琢磨する

菅谷氏の白衣掛けにもなっている人骨模型(左)と関節の模型(右)。

関節鏡下手術の権威として、さらには独自の治療法や分類を確立した先駆者として、菅谷氏の名声は広く伝わった。すると、研修や見学の要望が絶えなくなった。

「私は、ここで展開している医療をすべてオープンにする方針です。見学者は大歓迎です。技術を盗まれる? それも大歓迎です。どしどし盗んでいただき、広めていただき、一人でも多くの患者さんの笑顔につながればそれでいいのです」

研修医グループには海外枠が2名分設けられている。評価が世界的であることの証左と言えるだろう。

そんな姿勢で活動をした結果、菅谷氏のもとでの研修経験者、見学経験者、さらには賛同者が自然発生的にグループを形成した。その集いは、菅谷氏独特の言語感覚で、「菅谷系」なる名称をあたえられて今も続いている。

ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をスクロールしてひと言。

「SNS上でカウントしたところ、現在の参加者は268名、うち医師が200名ですね」

菅谷氏の実績と技術、そして人柄なくして生まれなかった活動だろう。

「菅谷系」に込めた意味は――

「意味としては、組や教室のような縛りや強制のない集団と思ってください。もちろん、大学医局の垣根などは越えて、国境さえ越えて『学びたい』の志だけを一つにした若者たちが集まっています」

弟子筋であり、仲間であり、共感の輪でもある。もちろんそれは、単なる親睦団体ではない。たとえば、SNSを通じた症例相談。患者さんの紹介。各地域での勉強会や研修会の案内。さらには、誕生日のお祝いメッセージまでと多岐にわたる。

まあまあ、よくやってきた
でも、まだまだでもある

「今日は外来のある日で、14時から20時まで通しで診察。それが終わると、食事も摂らずにジムに直行し2時間ほど、筋トレと有酸素運動です。体力を維持しないと、患者さんのために働けないし、そんなライフスタイルでないと外科医のイメージに反しますからね」

時にユーモアを交えた「菅谷ワールド」で会話を弾ませてくれる。外来での患者さんとのやりとりも、容易にイメージできる楽しい取材だった。

最後に、ここまでの医師人生を振り返ってもらった。

「まあまあ、よくやってきたなと思えます。でも、まだまだでもあります」

まだまだ、とは?

「この領域の可能性をもっと広げたいし、広げられる自信がある。だから、やるべきことがまだたくさん残っているという意味です。

現在、私は58歳ですが、少なくともあと10年は突っ走らなければならない感じですね」

菅谷氏の熱中、いまだ止まず――といったところだろうか。

熱中の果てに見える景色について、いつかまた話を聞かせてもらいたいと思う。

若手医師へのメッセージ


私にとって若手医師というものは、

訓戒を垂れたり指導したりの対象ではなく、

むしろ、教えてもらうことの多い存在。仲間に近い感覚です。

ですから、何かを押し付けるようなメッセージはありません。

あえて言うなら、ここに、こんな医師がいるのだと知っていただければうれしい。

そして、私をとおして肩・肘痛の世界に興味をもつ方が

一人でも増えてくれるなら、それだけで十分に満足です。

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