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菅谷 啓之 |
船橋整形外科病院 |
千葉県船橋市にある船橋整形外科病院スポーツ医学・関節センターのセンター長/菅谷啓之氏は、
腱板断裂など、関節の痛みに対する関節鏡視下手術の名手として知られる。
週に3コマの外来担当日には、待合室に、同氏の得意とする
肩・肘痛の悩みをかかえた患者さんが文字どおりあふれんばかりだ。
一般患者から怪我に悩むアスリートまで、日本全国から多様な症例が集まり、
この分野では国内有数のボリュームセンターといえる実績を残している。
菅谷 啓之(すがや・ひろゆき)
船橋整形外科病院
菅谷啓之という人物の来歴をひもとくと、「熱中」が重要なキーワードだとわかる。
「自覚したのは医学部入学以降ですから生来のものかどうかはわかりませんが、熱中するととことんやるという性向が、あきらかにあります」
野球は、投手として東医体(東日本医科学生総合体育大会)準優勝を勝ち取るほど。ウインドサーフィンは、インストラクター資格取得。ウィンタースポーツには縁遠い千葉県在住なのになぜか、スキーにも熱中し1級ライセンスまで取ってしまった。研修医時代には、手ほどきを受けてからたった2年で、パープレーでラウンドするほどゴルフの腕前を上げた。
「つまりは、勉強以外のあれこれに注力していたわけで、医学生としては超がつくほどの劣等生でした。毎年落第すれすれの成績で綱渡りでしたし、母校の整形外科医局でもかなり冴えない研修医だったと思います。
『そのゴルフへの情熱を、医学に向けろよ』と、何人かの上司、先輩からたしなめられたのを覚えています」
笑いながらそんな回想をしてくれた菅谷氏の医師人生の転機は、ほんの些細なやりとりに端を発した。
「研修医時代のある日、先輩医師に『ピッチャーの肩痛はどう治すんですか』と質問したのですが、はっきりした答えがありませんでした。私自身、野球部時代に肩痛を経験していたこともあり、素朴な疑問として訊いたのですが――」
治療法が確立していない未開のフィールドが、こんな近くにあった!
「ならば自分で切り拓いてみようと、俄然やる気が湧いてきたのです」
つまり、肩痛への熱中が開始されたわけだ。
外来を受け付ける船橋整形外科クリニック。
船橋整形外科病院に隣接する。
「熱中」という言葉の解釈をめぐって、インタビュアーと菅谷氏の間にひとしきりの問答があった。熱中を「才能」と解釈し、そう投げかけると、少し眉間を寄せてのち、こう返ってきたのだ。
「才能、というより性格ですよ、これは」
野球、ウインドサーフィン、スキー、ゴルフ、何をやっても短期間で上達し、結果を残す――センスのいい人物、つまり才能。そんな受け止め方は、少々、本人の感覚と違うようだった。
「熱中すると、上達したいから『あれをやらなきゃ』『これをやらなきゃ』といろいろな課題が出てくるじゃないですか。それにどう取り組むかといえば、『コツコツと』以外にありません。どれに熱中した時も、いつもそうです、私の場合は。ですから、才能というより性格。熱中しちゃうし、コツコツやっちゃう性格なのです」
天賦の才で、何をやってもうまくいってしまう――たぶん、そんな安直さは不本意なのだ。熱中とはつまり、好きになって、執着して、コツコツ努力するのが当然で、成果は決して一朝一夕に降ったり湧いたりするものじゃない。そう正された気がし、深く納得した。
肩痛治療のためには手術と保存療法の2系統を学ぶ必要があるとわかり、明確な目標を立てることができた。手術に関しては低侵襲な関節鏡を学ぶべきだともわかった。
「時折、海外で『君の関節鏡の師匠は誰だ』と聞かれるのですが、『独学だよ』とこたえると驚かれます」
関節鏡に関しては、アメリカ整形外科学会に毎年足を運び、ネットを駆使して資料映像を集め、まさにコツコツと、そして集中的に学んだとのこと。1996年に学び始めて、2000年頃にはもう、最新の発表を読んでも物足りなさを感じるようになっていた。
「理解が深まるにつれ、関節鏡というものが内包する可能性の大きさにどんどん魅了されました。
当時、その最先端を走るのがアメリカの学会でした。しかし、そのアメリカにある技術でさえまだ、可能性を引き出し切れていないのだとわかってきたのです」
この長足の進歩の要因は、常に自分なりの工夫を凝らす勉強法にあったらしい。
「ただ教科書に従うだけでなく、許される範囲でのトライ&エラーを心がけました」
そしてついに、1998年には、それまで関節鏡不適応とされていた肩関節不安定症、肩腱板損傷を関節鏡で治療すると宣言し、見事に実現してみせたのだ。
さらに、関節鏡運用の可能性を追求した結果、臨床研究の成果も手にするようになった。肩痛を訴える患者の関節の骨がどんな状態か、どんなかたちかをリサーチしてみると……。
「肩の外傷性不安定症には、関節の皿のかたちがノーマルなもの、削れているもの、欠けているものの3タイプがあると判明しました。
レントゲン技師の協力を得て、現在のマルチスライスCTレベルの立体的な画像を撮る作業を積み重ね、100例を収集、解析を試みました」
その解析結果を、2003年に論文発表。世界中の専門家が新たなスタンダードとして受け入れることになった。2005年頃には、海外から講演依頼が舞い込むようになっていた。
肩痛治療、関節鏡技術に関して遅れをとっていた日本の医療界が、この時に大いなるキャッチアップを果たしたと言っても過言ではない出来事だった。
診察時には2名のスタッフがカルテ等を記入。菅谷氏は診察に徹することでより多くの患者さんを診ることができる。
菅谷氏の肩・肘痛の専門家としての見識を示すコメントを紹介する。
「肩・肘痛には、4種類の原因が考えられます。(1)構造に起因する場合、手術を実施します。(2)機能に問題がある場合はリハビリテーションへ送ります。(3)炎症が起こっていれば薬物療法や注射療法をおこないます。(4)心が関わっていると判断すれば整形外科に心身医療を取り入れている専門家に紹介します」
整形外科医というものは、まず手術ありき――「そう思われるのは、心外です」とのひと言が添えられた。
「たしかに整形外科のパブリックイメージのとおり、手術中心になる領域もありますが、私が専門とする肩・肘痛はそうではありません。当センターの肩・肘痛部門の約8割は外来と保存療法で、手術適応は2割前後にすぎないのですよ」
この領域における良医の条件は――
「第一に、患者さんの訴えをちゃんと聞けることです。それは医師として当然のことと思われるかもしれませんが、心がけとして忘れてしまっている臨床医が多いように感じますね」
まず、心がけ論として釘を刺す。それだけでも「関節鏡の第一人者」という横顔とのギャップが新鮮なコメントだが、味わい深いのは、このコメントが技術論にもなっている点だ。「ちゃんと聞ける」は「ちゃんと鑑別できる」を意味していて、それには「ストーリーづくり」の技量がなくてはならないということなのだ。
その解説まで聞くと、まるで自分が患者として感じるような納得と安心感が膨らんだ。
「ストーリーとは、患者さんそれぞれの、損傷に至った物語です。痛みの生じた原因を探り、機能改善の道を探るメソッド=『ストーリーづくり』を修得していれば、患者さんの言葉を引き出し、人間観察し、可動域テスト(触診)をすることで、ほぼ鑑別できます。必要であれば患部画像の読影を入れて、ほぼ間違いなく診断できます」
4種類の原因の4番目に挙げられていた「心が関わっている」には、新鮮な驚きがあった。よく考えてみれば、痛みには心因性のものもあるはず。ただ、整形外科で、そこまで視野に入れた診断をしてくれるとは知らなかった。
「絶対に必要な視点ですね。心身相関のケースはすぐにわかりますから、速やかにそちらに紹介します。心身医療もできる整形外科医やペインクリニックにネットワークをもち、いつでも相談にのってもらえる体制にしています」
患者側からすれば、これほど頼りになる医療機関はないと感じるだろう。
菅谷氏の白衣掛けにもなっている人骨模型(左)と関節の模型(右)。
関節鏡下手術の権威として、さらには独自の治療法や分類を確立した先駆者として、菅谷氏の名声は広く伝わった。すると、研修や見学の要望が絶えなくなった。
「私は、ここで展開している医療をすべてオープンにする方針です。見学者は大歓迎です。技術を盗まれる? それも大歓迎です。どしどし盗んでいただき、広めていただき、一人でも多くの患者さんの笑顔につながればそれでいいのです」
研修医グループには海外枠が2名分設けられている。評価が世界的であることの証左と言えるだろう。
そんな姿勢で活動をした結果、菅谷氏のもとでの研修経験者、見学経験者、さらには賛同者が自然発生的にグループを形成した。その集いは、菅谷氏独特の言語感覚で、「菅谷系」なる名称をあたえられて今も続いている。
ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をスクロールしてひと言。
「SNS上でカウントしたところ、現在の参加者は268名、うち医師が200名ですね」
菅谷氏の実績と技術、そして人柄なくして生まれなかった活動だろう。
「菅谷系」に込めた意味は――
「意味としては、組や教室のような縛りや強制のない集団と思ってください。もちろん、大学医局の垣根などは越えて、国境さえ越えて『学びたい』の志だけを一つにした若者たちが集まっています」
弟子筋であり、仲間であり、共感の輪でもある。もちろんそれは、単なる親睦団体ではない。たとえば、SNSを通じた症例相談。患者さんの紹介。各地域での勉強会や研修会の案内。さらには、誕生日のお祝いメッセージまでと多岐にわたる。
「今日は外来のある日で、14時から20時まで通しで診察。それが終わると、食事も摂らずにジムに直行し2時間ほど、筋トレと有酸素運動です。体力を維持しないと、患者さんのために働けないし、そんなライフスタイルでないと外科医のイメージに反しますからね」
時にユーモアを交えた「菅谷ワールド」で会話を弾ませてくれる。外来での患者さんとのやりとりも、容易にイメージできる楽しい取材だった。
最後に、ここまでの医師人生を振り返ってもらった。
「まあまあ、よくやってきたなと思えます。でも、まだまだでもあります」
まだまだ、とは?
「この領域の可能性をもっと広げたいし、広げられる自信がある。だから、やるべきことがまだたくさん残っているという意味です。
現在、私は58歳ですが、少なくともあと10年は突っ走らなければならない感じですね」
菅谷氏の熱中、いまだ止まず――といったところだろうか。
熱中の果てに見える景色について、いつかまた話を聞かせてもらいたいと思う。
私にとって若手医師というものは、
訓戒を垂れたり指導したりの対象ではなく、
むしろ、教えてもらうことの多い存在。仲間に近い感覚です。
ですから、何かを押し付けるようなメッセージはありません。
あえて言うなら、ここに、こんな医師がいるのだと知っていただければうれしい。
そして、私をとおして肩・肘痛の世界に興味をもつ方が
一人でも増えてくれるなら、それだけで十分に満足です。
診断戦略学の体系化、そして後輩への愛。
日本の総合診療の新しい若手リーダー、ここにあり。
志水 太郎獨協医科大学 総合診療医学講座 主任教授
獨協医科大学病院 総合診療科 診療部長
「尊厳の保障」をライフワークに、
医療と介護が果たすべき役割の追求を続ける。
白いキャンバスに理想の絵を描くための医師人生。
江澤 和彦医療法人和香会倉敷スイートタウン 理事長
セレンディピティに満ちた医師人生を慈しみ、
自治体病院病院長の激務を楽しむ。
鈴木 昌八磐田市立総合病院 事業管理者・病院長
いくつもの節目が刻印された医師人生。
沖縄医療の発展に伴走した自負を、
今回は新病院のローンチに注いでみようと思う。
新崎 修社会医療法人友愛会 豊見城中央病院 院長
熱中の果てに、どんな景色が広がるか。
肩・肘痛治療への情熱が、きっといつか、
そこに連れて行ってくれるはずだ。
菅谷 啓之船橋整形外科病院 スポーツ医学・関節センター長
よい時代に眼科医として歩めたと、感謝。
歴史と伝統ある広島大学病院に、
次の伝統を生み出すべく、日々努力したい。
木内 良明広島大学病院 病院長
周産期医療確立の立役者が、
地方国立大学の学長として振るタクトは、
どんな音色を創成するだろう。
池ノ上 克国立大学法人 宮崎大学 学長
医学博士
縁と運に感謝し、患者さんに慕われることを喜ぶ医師の、
抜擢し育てることを使命とした教育者の横顔。
髙久 史麿公益社団法人地域医療振興協会 会長
日本医学会連合 名誉会長
東京大学 名誉教授
「取れる」と「取ったほうがいい」の違いを知り、判断し、
患者さんの命を救う肝胆膵がんの超拡大手術。
苦悩と苦悶を乗り越え、チャレンジしつづける。
梛野 正人名古屋大学大学院医学系研究科
腫瘍外科学 教授
がん克服の夜明け前──
提言者として、実践者として、
四半世紀をがん医療に捧げた医師は語る。
谷水 正人独立行政法人国立病院機構
四国がんセンター 院長
心疾患の不思議に取り憑かれて、30余年。
〝箱型〟組織の医局を牽引し、
100万人の心不全患者を助ける意気込みで。
澤 芳樹大阪大学大学院医学系研究科
外科学講座 心臓血管外科 教授
医学はいまだにわからないことだらけ。
医師と患者が「ともに生きる」姿勢が、
病気と闘うために欠かせない基盤になる。
髙本 眞一三井記念病院院長
人を育て、連携を育て、医療政策にも参加する。
大学講座だからこそできる多元的取り組みで、
次代の地域医療のあり方を提言し、実践する。
吉村 学宮崎大学医学部
地域医療・総合診療医学講座 教授
医師冥利と思う。
病院長として、糖尿病の臨床家として、
研究者として、全力投球の日々を過ごす。
稲垣 暢也京都大学医学部附属病院病院長、京都大学大学院医学研究科糖尿病・内分泌・栄養内科学 教授
脳血管手術の暗黙知を言語化し、
技術を次の世代へつなぐ。
石川 達哉地方独立行政法人秋田県立病院機構
秋田県立脳血管研究センター センター長
常に患者さんのニーズに耳を傾ける。
その姿勢を崩さずに歩んだ救急医が、
見出だした地域医療のかたち。
松岡 良典医療法人EMS 松岡救急クリニック 院長
天才的小児心臓外科医は、
未来を信じる心臓血管外科教授になった。
名声さえ振り切る疾走は、今も止まない。
佐野 俊二岡山大学大学院医歯薬学総合研究科
心臓血管外科教授
カプセル内視鏡導入の立役者、
日本初の
医師兼弁護士が見据える
日本の医療
寺野 彰学校法人 獨協学園理事長・獨協医科大学名誉学長
日本私立医科大学協会会長
低侵襲手術のフロントランナーとして
進行がんの集学的治療をリードする
宇山 一朗藤田保健衛生大学医学部
外科学講座(消化器外科・上部消化管担当)教授
ダヴィンチ低侵襲手術トレーニングセンター長
心臓外科の名医が挑む
先進の地域医療
森田 茂樹(国立大学法人 佐賀大学医学部附属病院 病院長
胸部・心臓血管外科 教授)
生命倫理の問題を克服し、環境整備に尽力
進化を遂げる「生殖補助医療」をリードする
荒木 重雄(国際医療技術研究所 IMT College
理事長)
大規模な患者調査「IORRA」で
関節リウマチの臨床研究の進化に貢献
山中寿(東京女子医科大学 教授、
附属膠原病リウマチ痛風センター 所長
東京女子医科大学病院リウマチ科 診療部長)