木内 良明 広島大学病院 病院長
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木内 良明

広島大学病院 病院長

よい時代に眼科医として歩めたと、感謝。
歴史と伝統ある広島大学病院に、
次の伝統を生み出すべく、日々努力したい。

2003年に、それまでの医学部附属病院から大学附属病院に生まれ変わった広島大学病院は、 広島大学医学部の臨床、研究、教育の前線基地であるのみならず、 広島大学そのものの未来戦略に影響をあたえる存在になりつつある。
2018年4月に広島大学病院長となった眼科医療の権威/木内良明氏は、
歴史と伝統を誇りながらも、過去の栄光にすがるだけの医療機関となってはいけないと考える。
我が子を慈しむような視点で、病院の健やかな前進を牽引している。

プロフィール

木内 良明(きうち・よしあき)

  • 1983年 広島大学医学部医学科 卒業
  • 1989年 広島大学医学部 助手
  • 1990年 Yale大学 Yale Eye Center, Postdoctoral Associate
  • 1997年 国立大阪病院(現・大阪医療センター)医師(眼科)
  • 2003年 国家公務員共済組合連合会 大手前病院眼科部長
  • 2006年 広島大学大学院医歯薬学総合研究科視覚病態学 教授
          広島大学大学院医歯薬総合研究科
          (現・医歯薬保健学研究科) 教授
          広島大学医学部長補佐、広島大学病院病院長補佐、
          副病院長などを歴任
  • 2018年 広島大学病院 病院長 就任

>木内 良明(きうち・よしあき)

歴史と伝統を誇るだけの医療機関であってはならない

広島大学病院は、1945年2月に設立された広島県立医学専門学校と附属医院を起源にもつ。数奇なことに、開校式の挙行された同年8月5日の翌日が、原爆投下の日。校舎も附属病院も全焼するという悲劇から、歴史をスタートさせることになった。

壊滅状態からの広島市の復興に欠かせなかったのが、医療の復興だ。同院は、広島市民の期待を背負い、広島市民の力に支えられ、広島市民とともに歩んだ病院だったといえる。

そういった背景をもつがゆえ、現在も地域医療連携には大きな力を注ぎ、市民から絶大なる信頼を獲得しているのが医療機関としての特長の一つだ。地域の医師会や行政とは、長い時間をかけて醸成された信頼関係を維持している。

もちろん、大学病院の重要な使命である高度先進医療も大切な柱で、内科、外科、救急等各分野に国内屈指の優れたスタッフを揃えている。被爆地であることへの自覚は、広島大学原爆放射線医科学研究所の存在で際立つだろう。同研究所とは主に腫瘍外科分野を通じて密な連携が構築されている。

2018年4月に病院長に就任した木内良明氏は語る。

「歴史と伝統を誇るべき広島大学病院といえるでしょう。ただ、過去の栄光にすがるだけの医療機関となってはなりません。

そういう意味で私は、病院長就任にあたって新しい取り組みを強く意識しました。前進し、たどり着いた新たな境地が次の伝統になるのだと信じ、日々の業務に励んでいます」

大学に附属した大学病院の長は、
大学の未来に関与する自覚をもたなければならない

広島大学病院(上)。病院の正門近くには寄贈された美術品を展示する美術館「YHRPミュージアム」があり、無料で入館することができる(下)。

木内氏は広島大学病院長に就任すると同時に、広島大学副学長と理事の任にも就いた。

「当院は現在、広島大学附属ですから、大学本部、役員会の意思をしっかりと受け止めた活動をしなければなりませんし、大学本部、役員会に病院の考えを伝えなければなりません。そのために副学長と理事のポストは不可欠なのです」

一般的に「大学病院」は、大学が運営する病院、大学に附属する病院と受け止められる。ところが、長く、「実際は医学部に附属する病院」が多数を占める状況が続いていた。広島大学も、医学部附属病院だった。

大学直属か医学部附属かの違いは、少なくとも意思疎通の効率に大きな違いをもたらす。大学と病院の間に、医学部教授会という組織が介在することになるからだ。大学の運営予算の4分の1、3分の1に匹敵するマネーフローがありながら、大学が直接運営に関われないという状況に、組織としての歪みを指摘する声も少なくなかった。

きっかけは、2004年に施行された国立大学の国立大学法人化だ。ざっくりと言えば、この施策は、全国の国立大学の経営と運営に高度な効率化を促した。広島大学は、きわめて迅速に呼応し、施行前の2003年に医学部附属病院を大学附属病院へとする大改組に踏み切った。木内病院長が大学副学長と理事を兼任するのは、そのためだ。この折に、医学部附属病院と歯学部附属病院の統合もおこなった。

「週に1度、東広島キャンパス(東広島市)に出向き役員会に出席しています。病院のある霞キャンパス(広島市)とは直線距離で20キロほどありますので、会合が週に2回、3回と重なると正直疲労の色が濃くなりますが、大学の意向に直に触れることには大きな意義を感じますので前向きにとらえています。ほかの理事の方々のお考えやアイデアに触れて、新鮮な刺激をいただけるのも貴重です」

現在、広島大学は、文部科学省のスーパーグローバル大学創成支援事業に採択されたプランに沿って、2024年までに世界の大学トップ100にランクインすべく、徹底した改革と国際化を推進している。

「広島大学に限らず、地方国立大学は生き残りのために知恵を絞り、情熱を燃やすことが必須の時代となりました。そんなやりがいある運営の現場に参加する機会を得られ、光栄に感じているところです」

外来を担当し、手術にも参加する現役の臨床医
小児眼科のやりがいを知る人でもある

大学組織の構造から、総合大学運営のボードメンバーとしてのタスクを多く背負うことになった木内氏だが、もちろん病院長として病院運営の指揮をとる使命があり、臨床、教育、研究の進展にも寄与しなければならない。つまりは、多忙だ。

そんななか、臨床医としても現役で、同院眼科の外来を週1コマもっている。

「臨床の現場は大好きですので、現在でも時間の許すかぎり外来診療をおこなっていますし、手術にも参加しています。臨床は、いまだに楽しいですね」

2006年に視覚病態学教授に就任して以来、手塩にかけて育てた同院眼科は、緑内障、角膜疾患、網膜硝子体疾患、ぶどう膜炎、白内障における中国地方のセンターを自負する実力をもち、県内外から多くの患者が集まる。とくに外科領域では手術症例数を十分確保できており、医局員が順調に技術を伸ばしている。薬物療法、外科療法ともに先端医療を駆使すると同時に、新療法開発にも積極的だ。

「玉にきずと言えば、医局員がある時ぱっと開業に踏みきるケースがあることでしょうか。実力ある眼科医が地域に出て活躍するのは喜ぶべきことなのですが、診療科のマンパワーを考えると、歯がゆい思いがあります」

眼科の木内良明教授といえば、教室伝統の緑内障で業績を上げていることで知られるが、並んで小児眼科での臨床実績でも高く評価されている。

「小児眼科との出会いは比較的最近で、2006年前後に知人に勧められて小児眼科学会に参加したことが始まりです。取り組んでみると、奥深く、やりがいにも富む分野で、いっぺんにのめり込んでいきました」

小児眼科を受け入れている医療機関は全国的にも数少なく、木内氏のもとには中国四国全域から患者が集まっている。

「小児眼科は他臓器の小児科に比べ、小児と成人の境目がおぼろげです。そのため、いったん担当した患者さんは長く受けもつことになります。極論を言えば、引退する以外、主治医を辞めることができません。ですから、長く付き合い、成長を見守りつづけている患者さんが何人もいます」

小児患者を受けもつ医師に共通する慈愛に満ちた微笑みを見せる木内氏に、眼科医としての半生を振り返ってもらった。

「いちばんに思うのは、よい時代にこの道を歩めたなということですね。医学が進歩し、それまで治せなかった疾患が治せるようになる喜びを何度も味わえました。たとえば、水晶体全摘出だった白内障に、超音波をはじめとしたさまざまな治療法が確立し、摘出せずにすむ道を示せるようになったこと、それまで触ることができなかった硝子体を操作する硝子体手術が確立されたことなどです。

患者さんが希望をもてるようになり喜んでいる裏側で、医師は、患者さん以上に大きな喜びを感じているものなのですよ」

1997年、家業継承を決意し、医局を離れる
ところが、父親の申し立てに……

驚くべき事実――木内氏は当初、開業をめざしており、開業準備のために広島大学医学部医局を一度出ていたのだ。経歴の冒頭に「広島大学医学部卒業」とあり、終盤に「広島大学医歯薬学総合研究科視覚病態学教授」、「広島大学病院長」とあると、ストレートに教授に登りつめたと思うだろう。または、いったん、医局外部に出てから、教授に返り咲くケースもあるが、さすがに「開業のために医局を辞めた」いきさつにまでは思い至らないはずだ。

「父が眼科の開業医でしたから、医学部入学そのものが家業継承のためだったんです。親の期待は、納得して受け入れていました。

1997年に医局を出て国立大阪病院(現大阪医療センター)勤務となったのは、実家のある大阪に移り、休日に父の診療を手伝いながら家業継承の準備をするためでした」

しかし現在、家業の医院は木内氏の弟が継承している。木内氏本人が継承を思いとどまった理由を訊ねると、おどけた調子でこたえてくれた。

「医局を出る決心は、父親が『喀血がある。たぶん、がんだろう』と報告してきたことを受けてのものでした。それは大変だ、と。ところが、大阪に帰ってみると、なんか元気そうなのですよ。

しかし、喀血は噓ではない。呼吸器科を受診したので、検査結果が出る日は私も同伴し、診察室から出てくるのを待ちました。すると、姿を現した父は、しれっと『がんでは、ないみたいだな』。そのときの表情でわかりました。明らかに確信犯! 腹が立ってどうしようもなかったです」

罪深いともいえるし、かわいらしくもある父だ。「こんなやつとは、一緒にやれないと思いましたよ」と怒ってみせる木内氏だが、そのトーンには、この話を聞かせた相手を笑わせるための雰囲気も漂っている。

父の噓よりもむしろ、信憑性が高く思えるのはこのコメントだ。

「母校の医局を出て以降9年間の大阪時代は、臨床三昧でほんとうに楽しかった」

9年間の邁進の原動力は、
実力を示さねばならない環境だったこと

木内氏が執筆した『緑内障診療クローズアップ』と共著の『小児眼科学』(右)。氏が眼科医としてのバイブルという『眼科学』『Physiology Eye』と、最新のビジュアルが豊富な症例本『GLAUCOMA』(左)。

開業医として地域に降り立つことより、大学関連病院で、先進症例に先進技術で挑む臨床に魅力を感じたから家業は継承しなかった――それがほんとうのところではないだろうか。

喀血騒動で医局を離れることになったが、移籍した先は市中病院ではなく、国立大阪病院。公立の基幹病院であると同時に、大阪大学の関連病院だ。

出身大学の医局で積むキャリアには、好むと好まざるにかかわらず政治的立ち回りや後進育成など臨床だけに集中しづらい要素がついてまわるものだが、木内氏はここで、偶然そういったしがらみをうち捨てることになり、開眼を得たのではないだろうか。

出身大学の医局ではない、いわゆる外様の立場で、レベルの高い医療を求められる環境では、臨床医としての腕を見せる以外に信頼を得る術はない。それはかなり苛烈な状況だが、能力ある者が身を投じれば、むしろ、とてつもないやりがいを得られる環境だ。

9年間の「臨床三昧」の幕引きを予感したエピソードも、興味深い。

「国立大阪病院の次に、診療科部長として大手前病院(同じく大阪大学関連病院)に着任しました。この時期、臨床研究への興味もどんどん膨らみました。『こうしたらもっと、患者さんのためになるのでは』というアイデアが、湧いてくるんです。

ある時、ある製薬会社の担当者に、薬に関してのアイデアを話すと、会社に持ち帰り検討してくれて、『そのアイデア、当社が研究費出せますよ』と言ってくれたのです。ところが、病院にそう報告すると、こたえはNG。病院に臨床研究予算の受け皿がないからというのが理由でした」

水を差されたかたちになった木内氏は、潮時のようなものを感じたようだ。

「悔しいですよね。それならば、受け皿のある場所に移るべきなのかなと考えるようになりました」

医局に教授として復帰する奇跡
新しい伝統に向かって着実に伸びる軌跡

人生とはおもしろいもので、移るべきかと考えているところに、「移ってはどうか」との誘いが舞い込むのだ。しかも、木内氏の場合、それは母校の教授選への応募打診だった。

「家業継承のために医局を離れた私に、医局復帰のチャンスが、教授選というかたちで訪れるなんてそれだけで驚きですが、手を挙げてみると選考を通った。『奇跡』の2文字が、脳裏をよぎりました。その思いは今も変わりません。大変な幸運ですし、奇跡的なことだと思っています」

自信がなければ応募しないし、裏付けとなる業績が積みあがっていなければ選考を通るはずもない。9年間の邁進がいかに当を得たもので、讃えられるものだったかの証であろう。奇跡のストーリーは、さらにその12年後に大学病院長就任というエピソードを添えた。

「驚いてはいますが、これに関して奇跡は感じません。病院長補佐と副病院長を計8年務めた後の病院長拝命ですから、決して降って湧いたような出来事ではありません。もちろん、教授就任時に、将来は病院長になどとは思ってもいませんでしたが」

病院長となって約1年過ごしての、感想は。

「病院長になると見える景色が違ってきますね。どちらかと言えば、よいところよりも悪いところが目に付いてしまいます。

子育てに似たところを、感じています。普段はどうしても粗が見える。心配だから。ということはつまり、授業参観のような特別な日に手を挙げている姿を見て、『けっこう成長しているじゃないか』と思える日もくるのだろうと楽しみにしています」

冒頭で聞いた、「次の伝統」を生むための前進は、この1年だけでも着実に記せたとのこと。この人が牽引するならば、成長を実感する授業参観の日は、この先、何度もやってくるだろう。数年後、その回数を尋ねてみたい。きっと、想像を上回るこたえが返ってくるはずだ。

若手医師へのメッセージ


ありきたりですが、「少年老い易く学成り難し」と思います。

なるべく無駄な時間を使わないよう留意して、仕事に励み、
前に進んでいただきたいです。
真実を見る眼を養ってください。
教科書や論文に書いてあることが事実なのか疑ってください。

マスコミの報道、政府の方針にも間違いが含まれています。

医師は素直ですぐに騙されがちです。

広く情報を集めて真実を見つめることが、
よい医療につながります。頑張ってください。

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