1. 梛野 正人 名古屋大学大学院医学系研究科 腫瘍外科学 教授
梛野 正人 名古屋大学大学院医学系研究科 腫瘍外科学 教授
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梛野 正人

名古屋大学大学院医学系研究科
腫瘍外科学 教授

「取れる」と「取ったほうがいい」の違いを知り、判断し、
患者さんの命を救う肝胆膵がんの超拡大手術。
苦悩と苦悶を乗り越え、チャレンジしつづける。

名古屋大学医学部附属病院腫瘍外科には、肝胆膵がんで切除不能の診断を受けた罹患者が最後の望みをかけて集まってくる。
名医としてテレビでも紹介された梛野正人教授のオピニオンと手技を頼ってのことだ。
1980年代から同医局、同講座が先駆けて着手した超高難度手術、
超拡大手術の業績は、国内では他の追随を許さない。
梛野氏はしかし、チーム医療の大切さを語り、教室の総合力を力説する。
誤解や不認識も少なくないこの領域で、チャレンジの日々を送る医師の実像に触れることができた。

プロフィール

梛野 正人(なぎの・まさと)

経歴
  • 1979年 名古屋大学医学部卒業
  • 1986年 名古屋大学医学部第一外科医員
  • 1988年 国家公務員共済組合連合会東海病院外科医長
  • 1991年 名古屋大学医学部第一外科 助手
    (1993年~1994年 文部省在外研究員:Lahey Clinic)
  • 1996年 名古屋大学医学部第一外科 講師
  • 2003年 名古屋大学大学院医学系研究科器官調節外科 助教授
  • 2006年 名古屋大学大学院医学系研究科腫瘍外科学 助教授
  • 2007年 名古屋大学大学院医学系研究科腫瘍外科学 教授

>梛野 正人(なぎの・まさと)

外科における高度先進医療の実像は
広く、多くの人に認知されているとは言い難い

医師人生を振り返って──。

「エキサイティングでやりがいのある分野に進み、よく頑張ってきたと思います。導いてくださった恩師の二村先生をはじめ、お世話になったすべての方に感謝しています」

腫瘍外科学教授となって11年目の2018年、そんな感慨を口にする梛野氏は、さらに言葉を続けた。

「ただ、それは私の医師人生への私の感慨でしかありません。私を見て、『よくそんな難しい手術をやるなあ』とあきれる人がいるかもしれない。それでもなお、私は充実感を覚えている。そんなところです」

標準医療が広く多くの患者さんを救っているのは事実。ただ、一方には高度先進医療と最先端医学があり、さまざまな挑戦と革新が繰り広げられているのは見過ごされがちだ。前者がマスで後者がスモール・ナンバーであるため、国民の認知はどうしてもマスに偏ってしまう。

誤解があってはいけない。梛野氏はそれに悲嘆しているわけではないし、開き直ってシニカルに笑っているのでもない。少し恥ずかしそうに言葉を選びながら話を進めるその姿に、むしろ迫力を感じる。なにしろ、この人物が率いるのは、肝胆膵がんの超高難度手術の症例数世界一の名古屋大学腫瘍外科学講座なのだから。

日本一の業績をもつ講座を引き継ぎ
圧倒的日本一を目標に定めて歩んだ

名古屋大学医学部附属病院

腫瘍外科学講座は、かつて、名古屋大学第一外科として名を馳せた講座の現在だ。この講座の名声の立役者は、二村雄次氏(現愛知県がんセンター名誉総長)。とくに肝門部胆管がんを中心とする胆道がん外科治療に関して、難度の高い症例への対応を次々に実現し、手術数、治療成績ともに世界有数の実績を積み上げた。梛野氏は二村氏の愛弟子で、2007年に二村氏から引き継ぐかたちで教授職に就いた。

「二村先生の次に教授となるのは、日本一の業績の講座を引き受けるわけで、当初、『一番というのは、その上がないじゃないか』と途方に暮れたものです。引き継いだ一番を二番にしてしまう恐怖は、たしかにありました。

ただ、すぐに考え方を変えることができました。一番の上はある。圧倒的な一番をめざせばいいのだと思い至ったのです」

静かに飄々と発言する眼前の医師が、強いメンタリティの持ち主であることを知らされた。

では、圧倒的一番は、達成できたのか? 冒頭の振り返りは、そんな設問への答えにもなっているように思う。

「すべき努力は手抜きなくしたと自負します。二村先生の時代にはなかった技術を、いくつも確立できました。肝門部胆管がんの術後死亡率は20年前には10パーセント前後でしたが、現在は約1.2パーセントにまで低減しました。欧米の施設では今でも10パーセントを超えているところが普通です」

加えて日本中から難治患者が集まり、超高難度手術症例数は日本一どころか世界一。ただ、それが「圧倒的日本一」の要件を満たしているのか否かは百説あって当然だ。定義する指標さえない概念への挑戦なのだから。厳しい自己評価で律していれば、外に異論があっても揺るがない。むしろ異論の存在に刺激を得て、さらなる高みがめざせるかもしれない。そんな思考法で道を歩んできた人なのだろう。

超拡大手術とは、「これは無理です。できません」と発しても
どこからも咎められることのない世界

時代性が色濃いエピソードがある。梛野氏を医師の道に誘ったのは、山崎豊子の小説『白い巨塔』。昭和の時代に、あのストーリーに感化され医師に憧れた若者は数え切れない。

「高校生のときに、たぶん、テレビドラマの前に原作を読んでいたと思います。原作にも、田宮二郎が主人公を演じたドラマにも感銘と影響を受けました。当初は建築技師に憧れていましたが、志望を医師に転換しました」

以後は一直線に医師をめざした。愛知県安城市に生まれ育ったため、当然のように名古屋大学医学部を志望し、門をくぐった。

「当時の私にとって、医師とはイコール外科医。進むべき道は決まっていました。卒後の研修期間の中で慎重に進路を決める今の医師には、驚かれる方も多いでしょうね」

そして第一外科に二村氏がいた。

「すべての始まりは、二村先生との出会いからと言っていいでしょう。外科に憧れ勉強してきた私にとって、二村先生が手がけていらっしゃった事柄の一つひとつが、『えっ、こんなこともするのか。できるのか』という驚きに満ちていました。

魅了されて、魅了させられつづけて、気づいたら現在に至るという感じです」

時は、肝胆膵がん外科術の黎明期。とくに難易度の高い肝門部胆管がんの領域で次々に新境地をひらいていた二村氏は、領域の寵児たる活躍を繰り広げていた。

「先生から学んだ最大の教訓は、チャレンジ精神です。直接、『絶対に諦めるな』との薫陶もいただきました」

継承したものは数多いが、「絶対に諦めるな」のスピリッツを挙げた。日本一の業績は一歩間違えれば重荷にもなるが、恩師の背中を見て憧れ、直接言葉として受け取った「絶対に諦めるな」は、梛野氏と教室員の原動力となった。

「超拡大手術とは『これは無理です。できません』と発しても、どこからも咎められることのない世界。手術もできないひどい状態なのだから仕方ありません。

ただ、私たち腫瘍外科のメンバーは、そこで思考を止めない医師の集まり。『できません』の一言に、悔しさを感じ、なんとかならないかと徹底的に考えるのです。二村先生も、私も、私たちに続く人もそれを同様の習いとして患者さんと向き合いつづけるのです」

「できません」を選択して
リスクから逃げる誘惑とも、常に闘っている

胆管がんの領域での抗がん剤の効果について生存曲線を書いて説明する梛野氏。

「絶対に諦めるな」は、チャレンジ精神を表す言葉だ。名古屋大学腫瘍外科の歴史は、その精神で新境地を切りひらいてきた。ただ、勇敢なチャレンジは、常に無謀な冒険と裏腹だ。

「そこをはき違えることは、あってはなりません。この領域は、おそれをなしてはできませんが、それ以上に蛮勇があってはならない。あまつさえ、『できる』がその実『やりたい』だけに支えられた決断などは言語道断です。

だから、私たちは常に苦悩し、苦悶しています。できるかできないか、するかしないかを考え抜き、ギリギリのところで手術適用の決断をしています。

言葉を変えると、担当医は取れるか取れないかではなく、『取ったほうがいい』という判断を患者さんに伝えなくてはなりません。それができる医師でなければなりません」

「できません」の逃げ道があるなかで、あえて苦悩を引き受けるのは、もちろん患者さんを救いたいからだ。

「消化器がんで生き延びるには、切除がすべての第一歩です。もっとも良好な予後が期待できる治療は外科的治癒切除なのです。補助化学療法がいきるのも、現出しているがん組織をまずはすべて摘出してからのことです」

抗がん剤に関しては、一般的に初歩的な誤解が定着しているという。梛野氏は根気強く、その点を患者さんとその家族に説明している。

「しかたのないことではありますが、『この抗がん剤は効く』という評判を耳にすると、患者さんはどうしても治癒をイメージしてしまいます。

胆管がんの領域では、『抗がん剤が効く』は数か月程度の延命を意味すること、補助化学療法は外科治療を前提とすることなどをしっかりと伝えるよう心がけています」

今日もまた日本全国から梛野氏を頼って門を叩く患者さんは、一縷の望みを託して「できる」の一言を待っている。

「今でも、できるかできないかの判断をつけかね、眠れない夜を過ごす症例に出合います。手術適用の決断をし、成功に至り、患者さんに喜んでいただけるうれしいケースもあり、その喜びは何物にも代えがたいですが、力及ばず救えないこともあります。

ですから、『できません』を選択してリスクから逃げたいとの誘惑とも常に闘っています。悩みの深い職業といえるでしょう」

リスクの塀の上をつま先立って歩く風景が目に浮かぶ。手術死亡例はいまだゼロにならないが、梛野氏の医師人生で医療訴訟に至ったことはない。患者家族が、「できる」判断の背景に苦悩があったことを十分理解しているからだろう。医師も患者さんもその家族も、心を一つにしたギリギリの選択であったことが想像に難くない。

生存率を支えているのは
手術より、術前後のチーム医療

第115回日本外科学会の会頭を務めた(左)。
梛野氏が編集を務めた書籍『メスの限界に挑戦した症例』(医学図書出版)(右)。

手術に要した最長の時間はと問うと、「19時間半」と返ってきた。

「肝外胆管切除後の胆管がん再発例で、他院からの紹介で来院した若い女性でした。たいへん難しい状況でしたが、手術適用を決断しました。

周囲臓器・脈管へ広範に浸潤した再発がんに積極的な拡大手術をする方針で、肝動脈・門脈切除再建をともなう肝左三区域・尾状葉切除、挙上空腸および膵頭十二指腸切除をおこないました。

教授就任初年度にこれまでで最長時間の手術を経験したということもあり、とても印象に残っています。若かったことも大きかったと思いますが、患者さんは元気に退院され、社会復帰もされました。残念ながら7年後に再発で亡くなられましたが、抗がん剤治療だけではせいぜい1〜2年ですから、切除した意義は十分あると思っています」

「スーパードクター」の一言が脳裏をよぎる。19時間半もの間、集中力を維持する精神力、体力は尋常ではない。

「外科医にはやはり最低限、体力は求められます。二村先生は柔道でも名を馳せたアスリートですし、私も大学時代にはバドミントンに打ち込みました。あの時期に蓄えた体力は、明らかに外科医人生に役立っています」

際立って印象的なのは、19時間半の高難度手術を成功させる外科医である梛野氏が折に触れて発言するのが「チーム医療の大切さ」であることだ。事前資料でもそれがわかったし、インタビューでも再確認できた。その手一つで患者さんを救うスーパードクターストーリーへの、アンチテーゼに思える。

「手術が成功しても、術後のケアを怠れば患者さんは救えません。手術の技術は重要ですが、あえて言うなら、生存率を支えているのは手術よりむしろ術後のきめ細かい患者管理です。感染症対策などが万全であってはじめて、外科医はメスを振るうことができるのです。

当講座の医療成績は、チーム医療の総合力があってこそ成立しているものなのです。術前術後の技術とスタッフの質はこの10年で格段に向上しました。それこそが、当講座の最大の業績と思っています」

最後に、超拡大手術における、医師に求められる資質について訊いた。

「メスには限界がある。それを真摯に受け止められること。さらには、『取れる』と『取ったほうがいい』の違いを理解し、患者さんに伝えられること。そして、先輩医師の背中と患者さんをちゃんと見て、学べることです。

苦悩と苦労の多い世界ですが、やりがいはとてつもなく大きいですよ」

若手医師へのメッセージ


手術の難易度が極めて高い。
かといって死亡率が高くても許されるわけではない。

低侵襲や薬物療法に耳目が集まりがちな昨今、わざわざそんな
難しい道を選ばなくてもと考える方も多いでしょうが、

消化器のがんにおける外科的切除の役割の大きさは、
今後少なくとも50年は変わることはないでしょう。

社会的使命もやりがいもとても大きな世界です。

チャレンジしていくことに情熱を燃やせる方に、
ぜひこの世界を知ってほしいと思っています。

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