1. 谷水 正人 独立行政法人国立病院機構 四国がんセンター 院長
谷水 正人 独立行政法人国立病院機構 四国がんセンター 院長
バックナンバー

谷水 正人

独立行政法人国立病院機構
四国がんセンター 院長

がん克服の夜明け前──
提言者として、実践者として、
四半世紀をがん医療に捧げた医師は語る。

21世紀はがんが克服される時代といわれる。
また、治療技術と進歩を競うように歩み進んだがん医療の環境整備は、
罹患者のQOLをめざましく向上させた。
そんな時代に四半世紀にわたってがん医療に従事し、未来に向かってさらなる課題があると気を引き締めながら今日を過ごす医療人がいる。
独立行政法人国立病院機構四国がんセンター(以下、四国がんセンター)の院長である谷水正人氏は、外来の負荷軽減のための地域医療連携ネットワークを手はじめに、「裏方」と自称する業務に取り組んだ結果、思いも寄らぬ道を歩んだ経歴をもつ医師だ。

プロフィール

谷水 正人(たにみず・まさひと)

経歴
  • 1982年 岡山大学医学部卒業
  • 1986年 岡山大学医学部附属病院第一内科
  • 1993年 国立病院四国がんセンター
  • 1995年 同内科医長
  • 2004年 独立行政法人国立病院機構
         四国がんセンター統括診療部内視鏡科医長
  • 2005年 同 外来部長
  • 2009年 同 統括診療部長
  • 2013年 同 副院長
  • 2017年 同 院長

>谷水 正人(たにみず・まさひと)

日本のどこに居住していても
がんの標準医療が享受できる時代の到来
仕組みづくりに力を注いだ人々の努力が報われた

がん対策基本法が成立、施行されたのは2007年。その過程で、がんの標準医療を受けられずさまよう「がん難民」が多くいることや、海外で治療実績を示した抗がん剤を希望してもすぐには使うことが叶わない「ドラッグラグ」に焦燥の思いを募らせる患者とその家族の存在などが明らかになり、がんという疾患の周辺に膨大な社会問題のあることが国民の耳に届いた。

がんは「治療」以外にも真剣に考えるべきことがある病気だという問題提起については、当初、問題の意味そのものが理解されるのに時間を要したのだそうだ。同法の歴史的意義は、そのような高いハードルを見事に越えたことで、一層際だっているといえるだろう。

同法施行以後、日本のがん医療は長足の進歩を遂げた。がん対策基本法、がん対策推進基本計画、がん診療連携拠点病院制度(当初、がん診療拠点病院制度として発足)などを推進力に、新薬や治療法の研究、開発と進歩を競うように、がん医療の仕組みづくりが進展していった。

「たとえば、がん医療の均てん化はこの10年でめざましく進みました。全国に404あるがん診療連携拠点病院で標準医療を提供する体制が整備されました。四国で唯一のがんセンターである当院では、その様子、推移を肌で感じ取ることができます。 体制整備以前は、文字どおり四国中からがんの患者さんが紹介されてきましたが、現在は他県から紹介されてくるのは難治ケースに限られます。患者さんが遠くまで足を運ぶ必要なく、居住地の近隣で標準医療を享受できます」

未来が予測しがたい時にこそ、医療人が心がけるべきは
「目の前のことをコツコツと積み重ねていく」こと

四国がんセンター

2017年4月に四国がんセンター院長に就任した谷水正人氏は、四半世紀にわたって同院に在籍し、四国のがん医療を見守ってきた人物だ。

「がんは、克服されつつある疾患です。病態解明、治療技術と薬剤の開発がともにこの10年で急速に進歩し、早期発見と併せれば撲滅にいたるかもしれない。専門家の間では、そんな期待感が日々膨らんでいます。私が医師免許を取得した30数年前に、『21世紀には、がんは撲滅できるかも・・しれない』と言われていたのを思い出します。医療人の一人として、感慨深いものがあります」

壮絶だった、人類とがんとの闘いに幕が下ろされる日が近づいているようだ。

「明るい見通しの礎となるのは、治療技術ではロボット手術や高機能放射線治療、薬剤では分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤など。それぞれの開発に携わった研究者、開発者の功績は計り知れないでしょう。
そのおかげでたとえば、がん罹患者全体の5年生存率は64パーセントを示すにいたっています。この数値は5年前に罹患した方々のものですから、今後患者となる方々はさらに良い数値になるでしょう」

生存率の数値の向上に併せ、冒頭に記した均てん化推進などの環境整備が進んだことで罹患者のQOLが一気に向上していったこの10年、あるいは20年は、のちの人類史に特別な時間として刻まれることだろう。

一方で、撲滅が叶ったとして、それはそれで新たな課題が待ち受ける。谷水氏の視線も、そちらに向き始めている。

「優れた治療機器や薬剤は高額です。医療費の増大は、国家予算に影響を与え、社会問題となります。国の経済力に見合わない医療は、いかに国民が望んでもできないものです。 また、2017年生まれの日本人の平均寿命は、100歳を超え、健康寿命は70歳代と予測されています。そこまで国民の寿命が伸びた時にどんな社会問題が生まれるかについては、専門家が対策を含め必死で考えているところですが、日本社会がこの先どんな様相となっていくのかは予測しきれないですね。大変なことです」

未来が予測しがたい時こそ──心がけるべきこと。

「医療人は、そんな時こそ、目の前のことをコツコツと積み重ねていくべきでしょう。未来予測や夢想に浮き足だち、目の前のことを疎かにすれば、即、人命にかかわる。私たちはそんな仕事に就いているのですから」

4大学からエース級が集う、俊英の集積地
そこで働くことの楽しさを噛みしめながら、
環境整備、仕組みづくりの重要性に目ざめていった

谷水氏が四国がんセンターの内科(当時)に着任したのは1993年。岡山大学医学部第一内科の医局人事による派遣だった。

「肝臓に関する業績はそれなりに自負する内科医でしたが、がん医療に本格的に取り組んだのは当院に入職して以降のことです。取り組んでみれば、やはりとてもやりがいがありました。そして、それ以上に驚かされたのが──」

ここで、谷水氏は、それまで意識していなかった自身の才覚に目ざめた。

「当院には、岡山大学、広島大学、愛媛大学、徳島大学の4大学の医局から医師が参加しています。とくに当時は、各医局のエース級ばかりが派遣されていました。本当に、右を見ても左を見ても優秀な医師ばかりで、各医局が四国がんセンターに向ける熱い視線が手に取るようにわかったものです。そんな環境下で働くのは、本当に楽しかったです」

そして、そんな楽しい環境だからこそ、気になることがあり、次第に看過できなくなっていったのだった。

「医師もスタッフも優秀なのですが、彼らが働く組織、仕組みが脆弱でした。仕組みが足を引っ張り、彼らの力が100パーセントいかされない。とても残念で、腹立たしいとさえ感じました」

診療や研究の最前線からは一歩引く覚悟
「憎まれ役」、「煙たがられ役」を自認する日々のはじまり

4年ほどして、静かに決断した。そこを、やろうと。

「手はじめに取り組んだのは、地域医療連携。外来がパンク状態で医師が疲弊するのを止めるには、なくてはならない取り組みなのに、誰も手を付けようとしなかった。なので、私が勝手にはじめました」

現在の医療では、基幹病院が正常に機能するには地域医療連携が必須であると誰もが知る。しかし、1990年代当時、がん治療の技術は評価されたが、連携先の開拓などは目を向けられていなかった。

「診療や研究の最前線からは、一歩引くことになるでしょう。運営者に理解させ、制度をつくる、変えるという業務を進めるには、煙たがられるような発言や行動が必要でしょう。 よく考えた末、それらを覚悟のうえで、踏み出す決心をしました。犠牲を払ってでも環境整備をしたい。そう思えるほど、皆の優秀さが映えていたのです」

具申を重ね、診療の傍ら初代地域医療連携室室長として体制整備に勤しんだ。院長に物申し、院内の仕組みに口を挟み、手を突っ込む日々を過ごした。

「そんなことをやり抜いていることに、自分でも驚きつつ、やればやっただけ成果があり、環境が整っていくのを見る喜びが膨らんでいきました」

裏方仕事を黙々と続け、
日陰の道を歩いていると思っていたら、
いつの間にか表に引っ張り出される生活に

四国がんセンターに2013年に併設された患者・家族総合支援センター「暖だん」。憩いや学びのスペースや相談室があるほか、がんに関するイベントやセミナーもおこなう。

煙たがられるような仕事を引き受けた、裏方。そんな自覚が定着した頃、意外な展開が待ち受けていた。

「地域医療連携に続いて、患者相談支援がかたちになったあたりだったでしょうか。自分では、日陰を歩いているような感覚をもっていたのですが、そこを歩けば歩くほど、表に引っ張り出されるようになったのです」

「引っ張り出される」とは、たとえば講演依頼。

「なぜそんなことができたのか話を聞かせてほしいという依頼が、次から次へと舞い込むようになりました。そしてこれも想像していなかったのですが、病院側も喜んで私を送り出すのです。自分のしたことに興味をもってもらえるのは嬉しいですし、望外に病院が評価してくれていることもわかりました」

谷水氏が院長をはじめとした病院運営意思決定権者に提案し、却下された具申は、数限りないという。そんな却下案の一つに、「患者支援センター」の構想があった。的確な情報提供が、患者支援の核になるとの考えをまとめたものだった。

「いろいろと図版まで作成し提言した案でしたが、『考えはわかったが、時期尚早ではないか』と差し戻されました。消沈していたところ、しばらくして高島成光院長から電話があり、『あの時の資料が見たい』とのことでした」

院長が当時参加していた「地域がん診療拠点病院の整備に関する指針」策定の会合で、国が「患者相談支援情報センター」構想に着手したとわかったのだという。結論から言うと、「患者相談支援情報センター」の要件定義に関しては院長を介して国に提出された「谷水案」が採択された。

「国の発表した整備指針に、患者支援センターの要件として私が挙げた6項目が、そのまま採用されていてびっくりしたものです。また、いつか必要になるはずだからと合間をみて進めていた下準備も、のちにいきてきました」

がん診療拠点病院の要件として国が定めた項目の一つを、結果的に発表に先駆けて準備していたのだから話は早い。2002年3月、四国がんセンターが全国で最初の地域がん診療拠点病院に指定されたのは、ある意味必然だったのだ。

結果的に政策を提言することになり、
いつしか、院長職を引き受けることになった

結局、「患者相談支援情報センター」についても、オファーに従い講演する身となった。そんななかで、第5次医療法改正においては、協議会委員であった垣添忠生氏(国立がんセンター名誉総長)からの要請に応じてセンター構想の概念図を提供し、長く国の構想資料として使われることになった。

黙々と出しつづけた具申が、結果的に国の政策になる。裏方を自認した活動が、政策提言者の栄誉を運んでくるのだから人生は侮れない。人間万事塞さい翁おうが馬といったところだろうか。

「なんといっても驚くのは、診療、治療で活躍したわけではない私が、院長になっていることではないですか。裏方仕事を引き受けつづけて院長になれるとは、私は夢にも思いませんでした」

院長職就任当初は「失言が多かった」と振り返る。

「今までは、時には少々過激な発言もしなければことが動かないという経験が多かったせいでしょう。院長になってもそんな考えで発言すると、周囲が驚き、振り回されてしまうと勉強させられました。反省しつつ、修正して、院長らしく振る舞おうと努力しているところです」

院長としてのビジョンを聞いた。

「医療全般に言えることですが、とくにがん医療においては、医療人が『何ができるか』ではなく、『何が求められているか』について常に敏感であるべきだと思います。

がん医療の均てん化が進展し、約70パーセントの罹患者が克服できる疾患になりつつある時代です。患者さんのニーズも変化し、提供する医療が的確か否かの評価も時とともに遷移します。常に最善の尽くせる四国がんセンターでありたいと考えています」

がん医療のエキスパートの書棚には、
哲学書とビジネス書と歴史物がぎっしりと詰まっていた

院長室の書棚には医学書のみならず哲学、ビジネス、歴史に関する書物が。三国志をはじめとした中国の歴史書からは学ぶことも多いという。

取材のために院長室を訪問すると、取材チームの機先を制するかのように書棚を差してからからと笑った。

「医学書のほとんどない書棚でしょう!」

がん医療のエキスパートである谷水氏の書棚には、医学書の代わりに哲学書、ビジネス書、歴史物がぎっしりと詰まっていた。こういうタイプの院長が活躍する時代──そう受け止めることができた。

一方で、がん医療のこれまで、現在、これからについて質問すると、立て板に水のごとく言葉があふれ出す。がん連携パス開発にまつわること、早期からの緩和ケアにまつわること、患者・家族総合支援センター「暖だん」や就労継続支援にまつわること、治験にまつわること、ゲノム治療の認定遺伝相談員にまつわることなど、実践者としての言葉には力がこもる。

がん医療における専門医療機関の今後についての見解が、強く印象に残った。

「これまでのがん医療専門医療機関は、イコール、ボリュームセンターであるのが当然でしたが、均てん化が行き届いた以降は、患者数を徐々に減らしていくことになるでしょう。そんななか、適切な立ち位置を見出すのは、決してたやすいことではありません。

そこで、先ほど述べた『何が求められているか』について常に敏感である姿勢が、より大事になります。たとえば、患者の年齢層は若年から高齢者まで幅広く、しかも『高齢』の天井はどんどんあがっていくのですから、すべてをカバーする視点を養う努力は並大抵では済みませんね。だからこそ、やりがいがあるとも言えるのですが」

医師の本懐が、目の前の患者の命を救うこと「だけ」にあるというのはステレオタイプだ。医学知識も医師免許も、いかし方はさまざまにあっていい。

仲間のために裏方へ回る決意をした結果、政策提言者になり、院長になりと、次々に予想外の展開を迎えた谷水氏の医師人生はなんとも興味深い。これからの院長としての手腕にますます期待が高まる。

若手医師へのメッセージ


ぜひ、患者さんの求める医療にこたえられる医療人になってほしいと思います。

また、これからもがん医療は、医学、医療の重要テーマでありつづけます。

がんは、やりがいある世界です。

この道を選択する方が多くいてくれることを願っています。

そして、がんを極めるならば、ぜひがんセンターを選んでください。

最新号はデジタルブックで!