1. 朝蔭 孝宏 東京医科歯科大学頭頸部外科 教授 東京医科歯科大学医学部附属病院 頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センター センター長
朝蔭 孝宏 東京医科歯科大学頭頸部外科 教授 東京医科歯科大学医学部附属病院 頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センター センター長
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朝蔭 孝宏

東京医科歯科大学頭頸部外科 教授
東京医科歯科大学医学部附属病院
頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センター センター長

「神の手は不要」。「若手はどんどん私を追い越すべき」。
集学的医療分野/頭頸部外科で
治療し、研究し、人を育てる喜び。

鎖骨から上の、脳と眼球以外が耳鼻咽喉科・頭頸部外科の該当領域。
「食べる」、「聞く」、「話す」といったQOLに直結する機能に関わる領域のため、 チーム医療による集学的医療が必須となる。
頭頸部外科は耳鼻咽喉科のサブスペシャリティとして1980年代に長足の発展を遂げた比較的新しい領域のため、 国内に講座はまだ多くなく、国立大学医学部では1999年に開設された東京医科歯科大学頭頸部外科が唯一だ。
2015年、同講座の2代目教授に就任したのが朝蔭孝宏氏。
教授就任翌年には、附属病院の頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長にも着任し、 同学の、ひいては日本の頭頸部外科の発展に鋭意注力する歩みをスタートさせている。

プロフィール

朝蔭 孝宏(あさかげ・たかひろ)

経歴
  • 1991年 山形大学医学部卒業
         東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科、JR東京総合病院耳鼻科
  • 1992年 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科
  • 1993年 都立府中病院(現:都立多摩総合医療センター)耳鼻咽喉科
  • 1994年 国立がんセンター(現:国立がん研究センター)東病院頭頸科
  • 2000年 The University of Texas MD Anderson Cancer Center, USA
         Memorial Sloan-Kettering Cancer Center, USA
         (厚生省がん克服新10か年戦略 外国への日本人研究者派遣事業)
  • 2001年 医学博士取得
  • 2003年 東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科 講師
  • 2008年 同 准教授
  • 2015年 東京医科歯科大学頭頸部外科 教授
  • 2016年 東京医科歯科大学 頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターセンター長

朝蔭 孝宏(あさかげ・たかひろ)

手術が可能であることを伝えた際、号泣する患者さんもいる
QOLの維持が容易ではない、「鎖骨から上」の医療の難しさとやりがい

東京医科歯科大学

同様に命を救った手術痕ながら、腹部や背中の傷と顔面に残る傷はQOLの観点からは意味を違えてくる。がん治療の王道である「可能な限り広範に取り去ることが望ましい」も、鼻や口といった顔の構成要素たる器官には単純に当てはまらない。外見的なものはもちろん、機能にフォーカスして考えても、「鎖骨から上」には「食べる」、「聞く」、「話す」といったデリケートな機能が集まっている。

「当院の頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターには、日本全国から難治症例の紹介患者さんが集まります。私がセンター長に就任して以降の足かけ2年だけを見ても、寄せられる期待の度合いは日増しに強くなっていると感じます。 その証左の一つと言えるでしょう。現在、院内がん登録患者数は、頭頸部がんが最多となっています」

形成外科、リハビリテーション科などと協働し、再建計画、機能回復計画までを周到に組み上げるのは当然として、それ以前、手術適応の判断からすでに緻密な検討と最善の選択がなくてはならない。この場合、放射線科や薬物療法のエキスパートとの連携が必須となる。

「たとえ似かよった手術であっても患者さんの年齢や社会背景が違えば、違った判断が必要になります。ですから患者さんとのコミュニケーション、情報収集は外来時点から真剣勝負です。メディカルスタッフの担う役割もとても大きくなります」

頭頸部外科における集学的医療は、文字通りの意味がさらに純度を増してそこにあるのだ。

「患者さんに手術が可能であることをお伝えした際、涙、ときには号泣されることも稀ではありません。いくつもの医療機関で『手術は難しい』と言われてきたからなのでしょうね。 感激していただけたことを嬉しく思うと同時に、期待を裏切らぬようにしなければと身の引き締まる瞬間でもあります」

成績のために「手術ありき」と考えることはない
患者利益を大前提に、トータルに患者さんと疾患を診る

頭頸部外科とは、外科医にとっていかなる領域なのか。

「たとえば、がんに限っても、狭い範囲にデリケートな器官が集まっていますので、ほかの臓器に比べて症例ごとに配慮すべき点が千差万別になります。胃がんや乳がんに比べて圧倒的にエビデンスが少ないため、ガイドラインベースの治療にはなりづらい。つまりは、担当医の裁量権が大きくなります。ケースごとに、未開の課題が見つかることも多く、毎回、ほぼオーダーメイドの治療計画を立てることが求められます。 そこに挑戦意欲とやりがいを感じられることが、頭頸部外科医の条件となるのではないでしょうか。『手術以外の治療が最善』と判断することも多く、まず『手術ありき』ではありません。患者利益を大前提に置き、トータルに患者さんと疾患を診ることが醍醐味なのだと言っていいでしょう」

東京医科歯科大学医学部附属病院頭頸部・頭蓋底腫瘍先端治療センターには、朝蔭氏を含め計4名の頭頸部がん専門医、2名の耳鼻咽喉科専門医が所属する。

「全員、前教授である岸本誠司先生のもとで鍛えられた手練てだれ の臨床医です。再建を含めて10時間を超えるような大手術であっても、十分に一人で担える実力者ばかり。ほかの医療機関の事情をすべて知っているわけではありませんが、頭頸部外科にこれほどの充実した体制を備えているのは当院だけでしょう」

耳鼻咽喉科の手術がこれほどにダイナミックとは
医学部5年時の講義での、ライフワークとの邂逅

現在に至る大きな出会いは山形大学医学部5年時にあった。耳鼻咽喉科の講義でのこと。

「耳鼻咽喉科講座の准教授が手術着の上に白衣をまとって講義をしたのですが、まずその姿がとても、かっこよかった。しかも、『今、10時間を超える大手術の真っ最中。そこを抜けて、ここにいる』と。 それは、現在私が日常としている、形成外科も参加した合同手術でした。いずれにしろ、『耳鼻咽喉科というのは、こんなダイナミックな治療もある世界なのか』と強烈な印象を受けました。その後、出入りするようになった耳鼻咽喉科医局の雰囲気が気に入ったことも大きく、耳鼻咽喉科で外科医になろうと決心しました」

ただ、卒業後に、山形大学の耳鼻咽喉科医局には入局しなかった。

「母校の医局にも大きな魅力を感じましたが、悩んだ末、最終的に東京で学ぶ道を選びました。大学の先輩、前述の准教授が、『東京で学びたいなら、東京大学医学部の耳鼻咽喉科医局を紹介するよ』と言ってくださったのです」

東京大学医局への入局
国立がんセンターで、生涯の師に出会う

東京大学耳鼻咽喉科名誉教授の加我君孝氏(左)、
国立がん研究センター東病院名誉院長の海老原敏氏(右)と。

1991年、東京大学の耳鼻咽喉科医局に入局し、以降、広く耳鼻咽喉科医療を学んだ。入局2年目に勤務した都立府中病院(現:都立多摩総合医療センター)耳鼻咽喉科では、がんへの興味を膨らませた。

「部長の船井洋光先生のご指導で、がん医療への興味がより高まりました。耳鼻咽喉科には耳、鼻、喉、がんの4つの主要領域がありますが、『人の命に関わりたい』という初志に沿って、がんに取り組みたいと思うようになったのです」

医局に「がんを学びたい」と申し出ると、国立がんセンター(現:国立がん研究センター)東病院(以下、東病院)でのレジデントとしての勤務が決まった。

東病院には頭頸部外科の泰斗であり、三笠宮殿下の主治医としても知られる海老原敏氏がおり、9年にわたり同氏のもとで多くを学ぶことになった。同氏は、がん医療が生存率至上主義だった時代から、機能温存、つまりQOLの重要性を説き実践した人だ。朝蔭氏は海老原氏から近代頭頸部外科の神髄を直接引き継いだといえる。

そして9年ののち、次の目標を見いだした。

「当時、東京医科歯科大学にできたばかりの頭頸部外科で、教授の岸本誠司先生が確立していた新しい技術を学ぼうと考えました」

ところが機を同じくして、所属医局である東京大学医学部耳鼻咽喉科医局から、大学に戻るよう要請が舞い込む。

「頭頸部チームに新たな風を吹き込み飛躍させて欲しいとのお話でした。耳鼻咽喉科教授の加我君孝先生が直々に面談してくださったこともあり、とても光栄なお誘いだったのですが、私の希望は違うところにあるのでと、お断りしました」

予期しなかった医局からの要請
2人の先達がひそかに温めていた、愛情の深さに頭を垂れる

要請は2度にわたり、2度とも辞退の意を示した。すると、意外なところから呼び出しがかかった。海老原氏である。

「君、なぜ私に相談もせずに、2度も、加我先生からのお誘いを断っているの?」

加我氏が海老原氏に相談を寄せたらしい。

「海老原先生に『恩のある医局からのお願いを無碍に断るのは、感心しない』と諭され、得心せざるを得ませんでした。それはそれでいいのですが、何より、両先生がそんなに親しいとは思いもよらず、そちらの驚きのほうが大きかったですね」

そんな出来事のせいで、もう一つ意外な事実を知ることになった。

「両先生は、必要に応じて手紙をやりとりしていたらしいのです。そして、私が東病院に着任した初期に、海老原先生は加我先生に手紙を書いていました。『朝蔭君は見込みがあるので、少し長くこちらで預かりたい』と。 私が9年の長きにわたって在籍できた背後には、そんなやりとりがあったのです。無自覚に突っ走っていただけの自分を恥じ、海老原先生、加我先生が後進に向けて注いでくださっていた愛の深さにこうべを垂れる思いでした」

頭頸部外科チームの改革を成し遂げ、いよいよ次のステップに
12年前に憧れた医局の教授選出馬を決意

東病院から出身医局に戻り、12年間、要請された頭頸部外科チームの改革に精力を傾けた。

「東病院で学んだ最新技術の移植もできましたし、乏しかった研究風土も開拓できました」

そして、「区切りがついたかな」と思えるようになった時期に、東京医科歯科大学医学部頭頸部外科の教授選があることを知った。12年前に憧れ、そばで学ぼうと欲した岸本教授の後任を選ぶ選挙だ。迷わず、手をあげた。

「ライバル関係にある医局間での移籍となりますから、軋轢があることは覚悟のうえです。実は、私自身は、そういったことはあまり気にならないのです。 そんなことより、国立大学で唯一の頭頸部外科講座で腕を振るうポジションを得られる数少ないチャンスを逃したくはありませんでした」

教授就任3年目、いよいよ新しいアイデアを形に
まずは、研究環境の整備に着手する

『イラスト手術手技のコツ 耳鼻咽喉科・頭頸部外科《咽喉頭頸部編》』(東京医学社)の一部執筆も担った。

インタビューは2017年、就任3年目の秋におこなった。

「3年目に入り、やっと地に足が着きはじめたように感じています。日々、目の前のミッションを果たすことで手一杯でしたが、新しいアイデアを書き留めて、考察する余裕が出てきました」

新しい取り組みも具現化しつつあるとのこと。

「現在の最大の関心事は、研究風土の充実です。岸本先生は素晴らしい臨床風土を築き、多くの臨床家を輩出しました。私が引き継ぎ、当講座をさらに躍進させるうえで研究環境の整備は絶対に必要なことだと思っています。 物理的には基礎研究の施設、設備を拡充することを決めましたし、医局員には大学院への入学を勧めています。実際に1名、今年から大学院で学びはじめています。論文づくりの力は、大学人としての将来を左右する重要なファクターなのです」

技術習得に関しては、揺るぎない信念がある。

「私は、外科の世界に『神の手は不要』と思っています。神の手にしかできない技術より、学べば習得できる再現性の確立のほうが数段重要です。私が教える若手には、どんどん私を追い越してくれなければ困ると考えています」

神の手への憧れなど温めている間があるなら、外科医がすべきことはほかにある。

「もっとうまくなりたいと願う心、うまくなることへの執念です。もう完璧だと思ってしまったら、そこで成長は止まってしまいます。 私自身、手術後に『もっと、こうしたほうがよかった』と反省することがありますし、だからこそ『まだ伸びしろがある』と思うようにしています。現役の外科医である限り、反省と成長の実感を持ち続けていかなければなりません」

現在の、もう一つの関心事は医療経済
次の世代に、医療制度の崩壊などあってはならない

朝蔭氏の関心事はほかにもある。それは、医療経済だ。

「厚生労働省が日本版のNICE(国立医療技術評価機構=National Institute for Health and Care Excellence)の設立を決めたようですが、時代を鑑みれば当然のことと思います。 今後も、続々と新たな高額医薬品が登場すると見込まれるなか、経済の側面から薬剤の適正使用を考え、その仕組みをつくるべきなのは明らかです。 私は、近い将来、薬剤適正使用に関する研究をスタートさせる予定でいます」

QOLに高いプライオリティを置き、最先端で最善の医療を提供する使命を負った頭頸部外科の中心人物が、医療費抑制に関心をいだき、研究も構想する事実には驚きを感じる。

「これまでは患者利益最優先で青天井の医療費を主張しても許される財政的余裕もあったのでしょうが、もう時代は変わっています。この課題を見過ごして、私たちの子ども、孫の時代に、最低限の医療さえ受けられなくなる医療崩壊などを引き起こしてはならないと思います」

最先端医療分野を牽引する人物が、医療経済にまで視野を広げ、見識を示そうとしている。目前のミッションとして高度な患者利益の創出に腕を振るいながら、次世代に医療がどうあるべきかにまで思いを馳せる教授の臨床、研究、教育に期待を寄せない者はいないだろう。そこにはまさに、新しい時代の息吹きがあるからだ。

若手医師へのメッセージ


最初から望む場所を与えられた方は、幸運に感謝しつつ、邁進してください。

ただ、そんな幸運は誰にでもあるわけではありません。

ある意味、望む場所を与えられなかった時にこそ、真価が問われるのではないでしょうか。そんな時に大切なのは、普段からベストを尽くしつつ、チャンスを待つことです。

与えられた環境で努力と勉強を止めない人は、誰かが見ていて必ずチャンスが巡ってくるものです。

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