1. 澤 芳樹 大阪大学大学院医学系研究科 外科学講座 心臓血管外科 教授
澤 芳樹 大阪大学大学院医学系研究科 外科学講座 心臓血管外科 教授
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澤 芳樹

大阪大学大学院医学系研究科
外科学講座 心臓血管外科 教授

心疾患の不思議に取り憑かれて、30余年。
〝箱型〟組織の医局を牽引し、
100万人の心不全患者を助ける意気込みで。

大阪大学医学部は緒方洪庵の適塾を源流とし、 日本医学界の誕生、発展を語る際に、外すことのできない名門学府。
近年では、日本の心臓移植を再開させた心臓血管外科医局の活躍が記憶に新しい。
2006年から教授として同医学部心臓血管外科医局の指揮をとる澤芳樹氏は、 医局組織を旧来のピラミッド型から「箱型」と表現するフラットなものにつくり変え、 全員参加型の臨床、研究、教育を展開する。自身を監督ではなく、 キャプテンタイプの教授と認識し、ともに取り組み、ともに学び、ともに喜ぶ日々を送っている。

プロフィール

澤 芳樹(さわ・よしき)

1955年生まれ。1980年、大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部第一外科入局。
1989年、フンボルト財団奨学生として、ドイツのMax-Planck研究所心臓生理学部門、心臓外科部門に留学。その後、大阪大学医学部第一外科助手、医局長、講師を経て、2002年に大阪大学医学部臓器制御外科(第一外科)助教授、附属病院未来医療センター副センター長に就任。2004年、大阪大学医学部附属病院心臓血管外科副科長。2006年、大阪大学大学院医学系研究科外科学講座心臓血管・呼吸器外科教授および大阪大学医学部附属病院未来医療センターのセンター長に就任。現在、大阪大学大学院医学系研究科 外科学講座 心臓血管外科 教授 科長、大阪大学臨床医工学融合研究教育(MEI)センター センター長。

澤 芳樹(さわ・よしき)

スキー三昧の生活を5年半
その後、スイッチが入ってから30数年、今も走り続けている

大阪大学医学部在学中の生活に関する回顧。

「『俺は本当に医者になるのかいな』と自分でも不思議に思う生活をしていました。中心にあるのは、スキー。インストラクターをするどころか、ペンション経営にまで関わり、もちろん毎日が充実。『この世界で食べていくのもいいかな』となかば真剣に考えたものです。勉強は、留年回避程度にしかしない5年半でした」

5年半を経た6年生の夏、国家試験が視野に入ったころ、「スイッチが入った」のだという。

「大学受験の際もそうでしたが、いざとなってから集中し、頑張るタイプです。あの時も6年生の夏にスイッチが入りました。
実は、あの時のスイッチが、今も入ったままです。入れてみると、医学は興味深く、奥が深い。スイッチオンのまま30数年走り続けているわけですが、よく倒れないものだと我ながら感心します。
振り返ると、あの、まったく勉強しなかった5年半は貴重なモラトリアムだったのかもしれません。その時期があったから、ここまで頑張れているような気もします」

無事、医師免許を取得すると、医師としての目標も明確になっていた。

「とにかく、人の命を救う医師になりたい。そう考えるとふさわしいのは、外科だろう。救急がいいか、心臓血管外科がいいかと思案した結果、第一外科に進むことを決心しました」

入局したのは、当時、「世界でもっとも厳しい医局」と囁かれていた第一外科医局。厳しい指導、厳しい修業で外科医としての腕を上げる日々であった。

「まず小児外科に興味をもち、そこから小児心疾患への興味をもつようになりました。そして、心臓血管外科にいきつきます。
この間、研究に関しては、小児の心臓手術の際の心臓の止め方に関してやりがいあるテーマを与えていただき、幸いにして評価される成果をあげることができました。その影響もあったのでしょう、結果的に関連病院に派遣されることなく、一貫して大学に籍を置き続けることになりました」

この時期、のちに続く永遠のモチベーションを得た。

「心疾患の不思議に、取り憑かれました。心奪われたまま、今日に至ります」

一心不乱に臨床と研究に打ち込む日々。ある日、気づくと教授に推される立場になっていた。

「ただただ多忙で、出世のことなど考えている暇はありません。一臨床医、一研究者として燃え尽きるようなイメージをもって努めていましたが、どういうわけか『教授に』ということになっていきました。もちろん、教授職も、やるからには精一杯やりますが、なぜなれたのかはいまだに謎です」

患者さんは、「心臓移植してください」とは言わない
助けるためなら何でもする姿勢の、心臓血管外科医局

現在、大阪大学医学部附属病院は、日本に9施設しかない心臓移植実施施設の認定を受けている。大阪大学医学部心臓血管外科医局は、1999年に移植を成功させ、それまで30数年空白となっていた日本の心臓移植の歴史を再開、勇躍名を轟かせた。澤氏自身も、これまで70例の心臓移植を実施している。心臓移植は、同科教授へのインタビューの皮切りにふさわしい話題と思った。

「もちろん、心臓移植については大きな自負をもっています。今後も技術を研鑽し、歴史を紡いでいく意気込みです。
ただ、心疾患の患者さんは、私たちに『命を助けてください』と要望しますが、『心臓移植をしてください』とはおっしゃらないものです。それは当然のことで、私たちはその当然に寄り添って、つまり常に患者さん目線で医療と向き合っているのです。
理解しやすく、話題性のある心臓移植に注目が集まるのは承知していますが、心臓移植しかやらない、あるいは何がなんでも心臓移植するかのような誤解があっては困ります。大阪大学医学部心臓血管外科医局は、患者さんを助けるためなら何でもする、患者さん目線の医師集団なのです。『自分が患者さんになったつもりで、医療に取り組もう』をスローガンとしています」

ニュースバリューがあるがゆえ、世間の耳目が心臓移植に集まりがちであるのは仕方ないが。

「心臓移植は当医局では年に約10件。移植を待っている患者さんはたくさんいますが、これだけはドナーが現れない限りどうにもなりません。実際、ドナー待ちの状態のまま亡くなられる方は、今も多くいらっしゃいます。心臓移植を担当する医師をイメージした時、多くの方は、移植に成功し、一人の命を救った事実を誇る姿を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、少なくとも私は違います。救った喜びより、間に合わなかった患者さんを救えなかった悔しさ、移植を受けられずに苦しんでいる患者さんの苦悩が頭を離れません。2000年を皮切りに、70名の患者さんの心臓移植を手がけていますが、感想としては『70名〝しか〞助けていない』となるのです」

ステント留置術、ハイブリッド手術/TAVI低侵襲化を強力に推進し、
手術プロセスの合理化も実現した

そして2006年、心臓血管外科教授就任。

「教授就任時に大枠として視界にとらえたのは、教育機関でもある心臓血管外科は多くの患者さんがあり、多くの医師が学ぶハイボリュームセンターであるべきだということです。そのために必要なのは、心臓血管外科技術の進展。常に日本で一、二を争う技術を示し、患者さんと医師を集めるべきだと考えました」

結果、就任時に年間350件ほどであった手術件数は、2016年現在1200件にまで伸びた。患者さんと医師を集めるにふさわしい技術を示した証といえるだろう。

示した技術、その一つは低侵襲化。

「当時私が展望したのは、まず心臓血管外科手術の低侵襲化の流れです。1990年代には心臓を止めないバイパス手術(OPCAB)や小切開でおこなう心臓手術(MICS)が出現しており、その流れをどう発展させるか考えました」

この分野で手がけた技術として挙げられるのが、まず、ステント留置術。カテーテルを使って狭窄した患部血管にステントを留置し、心筋梗塞、狭心症を治療する。2007年から年間300例ほどの症例を重ね、同技術を日本に定着させるのに貢献した。

低侵襲化にまつわる最大のトピックといえば、カテーテルを使用してのさらにハイレベルな技術、ハイブリッド手術だろう。経カテーテル大動脈弁留置術(Transcatheter Aortic Valve Implantation:TAVI(タビ)がそれで、大阪大学附属病院は2009年に日本初のハイブリッド手術室を設けた。それまで手術不適応とされていた高齢者の大動脈弁狭窄症に顕著な実績を残し、日本にハイブリッド手術のブームを呼ぶことになる。

「これらの技術では、それまで内科医の領分と見なされることの多かったカテーテルを、外科医が操り、心臓血管外科手術の高度化を果たしました。その後、TAVIの実施例は、やはり循環器内科で多くなっているようですが、大阪大学附属病院では、心臓血管外科医がしっかりとこの技術を身につけ、腕を振るっています。
低侵襲化で患者さんの負担を減らせるようになったのに併せ、一連の技術の進展で手術プロセスの合理化が進んだことも奏功し、手術件数の増加につながりました。低侵襲化技術の進展は、今後も速度を増すことでしょう」

大阪大学医学部研究棟と同じ敷地内に開設された最先端医療イノベーションセンターでは、学内外の研究機関と連携しながら先端医療の取り組みが展開される。右の写真はiPS細胞の培養器。

死亡例の大多数を占める心不全との闘い
心臓移植、人工心臓、そして再生医療

ハートシートは、大阪大学で基礎・臨床研究が、テルモ社で多施設企業治験がおこなわれた。萌芽的段階から科研費、NEDOプロジェクト、厚労科研の支援を受け、早期承認制度を用いて薬事承認を受けた。この開発に係る産学官連携は、2016年に厚生労働大臣賞を受賞した。

もう一つ、視野に入れていたのは心不全だ。こちらは、世に技術を示すことはもちろんだが、心臓血管外科界の永遠のテーマとして熱い情念を注ぐフィールドという意味合いが強い。

「心不全、これはやっかいなテーマです。心臓病の患者さんはほとんどの場合、心不全で亡くなります。そして、長く心不全は根本的には心臓移植、もしくは人工心臓でしか治せない疾患でした。
この分野でまず、私が教授として旗を振ったのは、人工心臓です。心臓移植では限界がある治療数を増やすには、絶対に必要な道でした。就任当時、人工心臓の第2世代、埋め込み型人工心臓が承認を目前に控えており、それを後押しするために積極的に治験に参加しました。子ども用埋め込み型人工心臓も導入しました。
ただ、心臓移植があり、人工心臓があっても救える患者さんの数は、まだ足りません。日本では数千人の患者さんが待っているといわれる中で、これまで、心臓移植は数十件、人工心臓も数百件ほどしか実施されていません。残念ながら現段階では、広く多数の方に提供する医療としては、役割が果たせているとは言い難い状況です」

そこで目を向けたのが、再生医療だ。澤氏は、外科医が手術によって心臓を回復させる条件を整えたのちに、心臓そのものの力で心臓機能を回復させる治療を思いついた。

「サイトカインが多く含まれる太ももの筋肉から細胞シートをつくり、心臓に直接貼り付け、弱った心筋を元気にし、心不全治療に役立てようというものです。研究の端緒は15年以上前にさかのぼります。 2007年に治験の第1号にこぎつけ、2016年には『ハートシート』の商品名で保険診療が始まりました」

ただ、心不全が重症化すると、ハートシートでサイトカインを投入しても、心機能低下を抑えることができない。究極の再生医療は、死にゆく心臓の細胞補助ではなく、細胞そのものを補充する治療だ。

「そこで、iPS細胞に期待を寄せました。京都大学の山中伸弥教授と、2008年に共同研究を開始。山中先生の研究所で作製された拒絶反応の少ない他人由来のiPS細胞で心筋シートをつくり、心臓に貼り付ける治療法の研究を進めています。一日も早い実用化をめざして、努力しているところです」

医局はピラミッドではなく、箱型。教授は監督ではなく、キャプテン
「100万人を助けよう」と声を掛け合う本気の医師集団

「初期研修医は一人ひとり高い志をもってくれているのを頼もしく思っています」と澤氏。

澤氏は、医局組織をピラミッド型から自身の言葉で「箱型」と称するフラットな体系につくり変えた。

「教授を頂点とするピラミッド型で医局を運営していては、教授の個人的な限界が医局の手術症例数の限界とイコールになってしまいます。それでは、年間症例はせいぜい200例どまりでしょう。ハイボリュームセンターと呼べる症例数を実施するには、医局員全員参加型で手術に取り組まなければならないという実情が一つ。
もう一つの理由は、あくまで私見ですが、現代の若者は、私たちが育った時代のような軍隊に近い統率組織などで息ができるはずはありません。また、指示し、統率する監督の役割より、一緒に闘い、学び、喜ぶキャプテンの役割のほうが私の性に合っていることもあります」

そのような医局運営が奏功したのだろう、同医局は現在、毎年8名の入局者があり、医局総勢50名という日本有数の心臓血管外科医局に育った。

「私が教授として誇れるのは、最先端の技術を駆使して治療できると同時に、常に医局員全員が主治医の仲間として助け、ともに患者さんを見守り続ける風土です。そんな中で患者さんを救うことのできた達成感を数多く経験し、心臓血管外科のやりがいを確信する医師を育てることができる」

常に声を掛け合う風土で、患者さんを助け、医師を育てる好循環がそこにある。

「当医局のメンバーが唱える合い言葉に、『断らない、見捨てない、手を抜かない』があります。毎朝7時に、ICUの回診がありますが、毎回ここに最低20名は医師が顔を出し、術後の患者さんについて意見を述べ合います。医局全体で合併症の見落とし、対応遅れを防ぐ。だから、多くの患者さんを救えているのだと自負しています」

日本最先端の心臓血管外科拠点には、高度で鋭利ながら、反面、冷たいエリート集団のイメージがついてまわる。しかし、澤氏自身が発散するオーラとその口から報告される現場の雰囲気は、明らかにそれとは違う。むしろ、楽し気な若者たちの集いの場のようだ。

「体育会系のサークル、同好の志の集まりと言っていいと思います。もう一つ、合い言葉があります。それは、『100万人を助けよう!』というもの。
全世界に心不全の患者さんが100万人いるという推定から出ている言葉です。無邪気ですね。でも、本気です。臨床技術を磨き、治療法開発に取り組み、この世から心不全に苦しむ人をなくせる日がくるはずだと信じて頑張っています」

最後に、医師人生を振り返ってほしいとお願いした。

「後悔は、微塵もなし。天職に就いたと感じています。生まれ変わってもまた同じ仕事がしたいですね。ただ、私が逝ったのち、後輩たちが頑張って、心臓の病気で亡くなる方がいなくなっているかもしれませんね。その際は、別の仕事を探しましょう!」

若手医師へのメッセージ


「やりたい仕事を見つけた者勝ち」だと思っています。

私は、時間を忘れて熱中できる仕事を見つけることができ、充実した医師人生が送れています。

皆さんにも、ぜひその点を真剣に考え、行動してほしいと考えています。

そのコツは、心臓血管外科医であるなら、10年先輩の姿を観察することでしょうか。

今ここでする選択が、自分にとってどんなものであるかを10年先のイメージとして先輩医師から学ぶのです。

そこで「やりたいこと」と「やりたくないこと」をしっかりと見極めてみてください。

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