1. 川上 浩司 京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 薬剤疫学分野 教授
川上 浩司 京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 薬剤疫学分野 教授
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川上 浩司

京都大学大学院医学研究科
社会健康医学系専攻
薬剤疫学分野 教授

ITを駆使し、疫学的に著しい成果を期待できる時代。
そんな、「新・医学」の可能性に多くの医療人が気づき、
興味をもち、参画することを期待している。

国内唯一の薬剤疫学の正規講座、京都大学大学院医学研究科薬剤疫学教室の 2代目教授である川上浩司氏が、現在もっとも大きな力を注いでいるのは健康情報由来のデータベース構築。
自治体や医療現場の各種の情報をデータベース化し、 適切に連接して健康ライフコースデータとして解析することで、 人生の健康の歴史を紡ぐことができるようになる。
そんな可能性を多大に秘めた、「新・医学」の魅力を大いに広めようと考えている。

プロフィール

川上 浩司(かわかみ・こうじ)

経歴
1997年筑波大学医学部卒業。
米国連邦政府食品医薬品庁(FDA) 生物製剤評価研究センター(CBER)にて細胞遺伝子治療部 臨床試験(IND)審査官、研究官を歴任し、米国内の臨床試験の審査業務および行政指導に従事。
東京大学医学部客員助教授を経て、2006年に京都大学教授(大学院医学研究科・薬剤疫学)、2010~2014年に京都大学理事補(研究担当)。

川上 浩司(かわかみ・こうじ)

弱冠33歳で、教授就任
日本で唯一の薬剤疫学講座


研究室がある京都大学医学部G棟。

薬剤疫学という学問は、臨床疫学と臨床薬学にまたがる分野として1980年代に米国で確立した。カバーする研究領域は、医療における診断方法の評価、医薬品などによる治療方法の効果や副作用に関するアウトカムリサーチ、医療の費用対効果を評価する経済研究、医療や医薬品、医療機器の安全性や有効性評価のためのレギュラトリーサイエンスと幅広いものとなりつつある。日本には、これらすべての領域にわたって層の厚い研究者と理解者がいるというわけではなく、裾野の拡大とさらなる分野の振興が待たれている。

国内唯一の薬剤疫学正規講座である京都大学大学院医学研究科薬剤疫学教室の2代目教授に、川上浩司氏が着任したのは2006年のこと。弱冠33歳の新教授に俊英たる期待がかけられていたのは、想像に難くない。

「着任当初は、バイオテクノロジー医薬品の開発や、その規制環境の改善を重視した研究や活動を中心としました。その後、医薬品や医療機器それぞれのイノベーション・開発環境の刷新のために、未承認薬や未承認機器を用いた臨床研究と治験の規制環境の整理、基盤づくりにも尽力しました。そのような研究活動は、臨床研究倫理指針の改正、医療機器臨床研究のルールづくりなど、一定の成果につながったと考えています。
さらには、国内の調剤薬局の調剤情報、診療報酬請求(レセプト)情報、医療機関のDPC 情報由来といった各種の医療データベースと連携して、医療現場や政策、産業でのクリニカルクエスチョンに基づいた薬剤疫学研究や臨床疫学研究、また費用対効果研究を力強く実施してゆき、研究業績を上げることができるようになりました」

着任8年目となる2014年には、さらに新しい分野に目を向けた。

「少子社会、超高齢社会の進展とともに、いまやイノベーションや成長を是とする戦略は、社会保障の中では必ずしも時宜を得ているとは思えず、また、健康社会を目標とする医学研究を推進するためには、しっかりと地に足をつけて、現実社会の医療や健康のさまざまな情報を整備して、疫学研究を推進しなければならないと考えるようになりました」

ライフコースデータ解析で
人生の健康の歴史を紡ぐ


川上氏の教室には約50名が在籍し、データベースの構築に力を注いでいる。(上)
医療データベース研究センターは川上氏が関わってつくられた。(下)

その考えのもと、健康・医療・教育情報評価推進機構(HCEI)および学校健診情報センター(SHR)社と連携して、全国の自治体が有する学校健診情報や母子保健情報をはじめとした各種の健康情報由来のデータベース構築を開始した。2015年からは、HCEI およびリアルワールドデータ(RWD)社を中心に、全国の医療機関の電子カルテとレセプト情報由来の診療情報を統合したデータベースの構築を開始。

「これらの活動を通じて実感したのは、各種の法制度に基づいた健診やITを導入した医療情報管理システムがあっても、現場での医療や健康の向上には十分に役立っていないということです。そこで、データベースを構築して疫学研究のための二次利用をするということのみならず、たとえば学校健診情報においては、学校現場で個人に健康レポートを還元したり、自治体には健康政策に活用できる分析レポートを還元、医療機関においても、連携する施設には医療の向上や安全対策に有用な分析レポートをお渡しするという、一次利用にも注力するようになりました」

こういった個々の事案だけを聞いても、「それは、一体どんなことに役立つのか」という核心の理解にまでは至らない。その旨、率直に質問した。

「たとえば、自治体や医療現場の各種データベース化した情報同士を、適切に連接してライフコースデータとして解析することで、人生の健康の歴史を紡ぐことができるようになります」(図1)

さらに、深い意義があるとのこと。

「これまで、疫学研究は、その時点や現場での横断的な健康情報の解析によって数々の知見をもたらしてきましたが、昨今のIT 技術の進歩によって、いままでのような横断研究のみならず、個人や集団の時間軸を超えた縦断研究が可能になりました。より多くの知見をもたらすことが期待されているのです」

(図1)自治体の有する行政健康資料を用いた、ライフコースデータの整備による医学研究の未来像
学校や介護のデータは医療の前後データとなるので、レセプト情報などの既存の医療系データと リンクして解析することで、それぞれ予防医療や医療全体でおこなわれたことの評価に役立ちます。
例えば、

  • ①どのような赤ちゃんがどのように学童期に移行するのか
  • ②どのような子どもがどのように病気になっていくのか
  • ③どのような医療を受けるとどのような終末期になっていくのか
  • といったことがわかります。

臨床医としての道を歩み
気づけば疫学の魅力に意義を見いだしていた


抗癌剤治療薬「ハイブリッドペプチド」の特許登録書やFDA-CBERでの最優秀研究者賞など数々の受賞、経歴が飾られている。

川上氏は神奈川県横浜市の耳鼻咽喉科の開業医の家に生まれる。

「私も耳鼻咽喉科の臨床医を志し、筑波大学医学部を卒業。実際に2年間、横浜市立大学医局で臨床に取り組みました」

人生の転換点はすぐにやってきた

「横浜市立大学の耳鼻咽喉科教授から、『米国へ留学してみないか』と打診され、遊学のつもりで渡米しました」

行き先は、米国連邦政府食品医薬品庁(FDA)。最初の3年間は研究生活に没頭し、さまざまな業績を残す。そしてFDAの審査官に推薦され、入職。のべ6年間にわたり、生物製剤評価研究センター(CBER)で細胞遺伝子治療部臨床試験(IND)審査官、研究官を歴任。米国内の臨床試験の審査業務および行政指導に従事することになる。

「米国での経験は、最初の3年間の研究生活も、米国国家公務員としての3年間の日々も、学びの連続でした。とくに、FDAで展開されている規制科学の実際を身をもって学べたことに大きな意義を感じます」

 米国でFDA審査官、研究官を務めるという稀有なキャリアを積んだ人材を見逃すはずもなく、ほどなく日本から招聘の声がかかる。まずは東京大学医学部の助教授職。それを1年数か月務めた後、京都大学から現職の打診があった。

「臨床医になるべく医学部で学び、実際に臨床の現場にも出ましたが、いくつかの偶然を経て疫学研究への道を歩むことになりました。臨床で患者さんを一人ひとり治療することの意義は申すまでもありませんが、疫学での業績は、新しい知見によってたくさんの患者さんを、さらには未来の患者さんまで助けることのできる大きな意義があります。

そんな素晴らしい世界を知って以降、迷わず邁進することができましたし、そんな私にチャンスを与えてくれる組織、機関があったことにも感謝の気持ちでいっぱいです」

医学における新たな視点
ビッグデータによる健康基盤構築

意外な事実を一つ。

「疫学の一講座を任されたわけですが、当初の5年は薬剤開発や規制科学などに重点を置き、疫学はやっていなかったとも言えます。なぜなら、有効なデータベースが存在しなかったからです」

しかし、時代は着実に動いていた。

「IT技術が進歩しました。レセプトデータやDPCデータを統合し、二次利用を可能にする会社も生まれました。いわゆるビッグデータが使えるようになり、当教室での疫学研究も加速度的に進展していきました」

まるで時代に後押しされるかのように進む疫学研究。3年ほどして、ロケットの2段目に点火するような節目を迎える。

「レセプトとDPCデータのデータ活用が活発になるなか、取り残されているものがあると気づきました。それは、健診データと電子カルテデータです。これは、誰も手を付けていないし、手を付ける予兆も見えない。ならば、自分の手でつくろうと考えました」

それが前述の、健康・医療・教育情報評価推進機構(HCEI)および学校健診情報センター(SHR)社と連携して、全国の自治体の有する学校健診情報や母子保健情報をはじめとする各種の健康情報由来のデータベース構築(2014年)、そして、HCEI およびリアルワールドデータ(RWD)社を中心に、全国の医療機関の電子カルテおよびレセプト情報由来の診療情報を統合したデータベースの構築(2015年)である。

川上氏はそれを「リアルワールドデータの活用による、ライフコースデータなどの健康基盤の構築」と呼ぶ。

「これは、医学における新たな視点です。遺伝子研究などは視点としてはすでにかなりスタンダードですし、実は生命科学や理学分野に偏ってしまっているとも言えます。ビッグデータを活用して健康基盤を構築する分野は新しい医学の可能性に満ちています。その事実に気づいた若い研究者が少しずつ増えている現在に、勇気をもらっています」

データ解析と基盤構築も大切だが
データを引き出す重要作業がある

川上氏の着眼の鋭さに気づかされるエピソード。

「日本の国民皆保険制度を『世界に冠たる』と称する意見がありますが、私はむしろ、法制度に基づく健診制度、とくに乳幼児健診と学校健診こそが世界に類を見ない特筆すべき制度ととらえています。現在実施できている国はほかにありませんし、データを蓄積している国もない。これはきわめて貴重な資産なのです。
乳幼児健診と学校健診データを活用し、どんな研究成果が出てくるのか、どんな基盤がつくれるのか、この分野に身を置く各国の研究者からも大きく期待されているのです」

さらに興味深いポイントは。

「この取り組みには、情報を解析し基盤を構築する以前に、『情報を引き出す』という重大作業があります。たった今、私がもっとも力を割いているのはこの作業と言えます」

乳幼児健診は厚労省管轄で、学校健診は文科省管轄。しかもそれを実施し、データを保管しているのは市町村。制度の決まりに従って、市町村は5年を経たデータを破棄している。

「市町村長に面談し、意義を説けば多くの場合協力を得られますが、逆に言えば全国千数百の市町村を説得しなければ貴重なデータは5年で失われてしまいます。説明を求める市町村があれば、いつ でもどこへでも足を運ぶ覚悟で、働きかけています。

国民の皆さんに医学と医療の未来の姿をお見せするために、ゼロから1をつくるための生みの苦しみ―そんな考えで、取り組みを進めているところです」

少年老い易く学成り難し
まだ何も成し遂げていないとの気構えで


気鋭の研究者の口から、耳なれた故事が発せられた。

「少年老い易く学成り難し。それを実感しながら日々を過ごしています。自分はまだ何も成し遂げていないのだと自分で叱咤しながら取り組んでいます」

自らデータベースをつくろうと考えて、2017年時点で約3年。かねてから持ち合わせていたわけではないITの知識は、猛勉強で身につけ、今も深めている最中とのこと。知的好奇心の向くところであれば、学びが苦になることなどないのだろう。さらに言えば、大きなパラダイムの転換期に身を置いている幸せに満ちあふれているようにも見える。

「私と私の教室が着目し、扱っているビッグデータによる疫学研究は、ほんの10年前には輪郭もなかったものです。

進展したIT技術の恩恵をフルに生かし、目の前の患者さんのみならずその後ろに控える何万、何十万の患者さんに貢献できる時代の到来。私たちのグループ内では、それを『新・医学』と呼んでいます。この分野の存在を、もっと多くの医療人と医学者に気づいてほしい。そして、どんどん参画してほしい。そんな思いを胸に、日々邁進しているところです」

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