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稲垣 暢也 都大学医学部附属病院 病院長・京都大学大学院医学研究科糖尿病・内分泌・栄養内科学 教授
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吉村 学

宮崎大学医学部
地域医療・総合診療医学講座 教授

人を育て、連携を育て、医療政策にも参加する。
大学講座だからこそできる多元的取り組みで、
次代の地域医療のあり方を提言し、実践する。

2015年5月に宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座教授に就任した吉村学は、岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)を舞台に17年間にわたり地域医療を実践し、多くの人材を輩出した。
卒後すぐに離れた母校へ二十数年ぶりに帰還し、宮崎県の地域医療の拡充に力を注ぐ。
自身の実体験から得た、地域医療の担い手となるやりがい、担い手を育てる楽しさと難しさへの知見を惜しみなく披露し、次代につながる地域医療のあり方を提言し、実践しようとしている。

プロフィール

吉村 学(よしむら・まなぶ)

経歴
  • 1991年 宮崎医科大学(現 宮崎大学医学部)卒業
         自治医科大学附属病院にて初期研修(地域医療学講座所属)
  • 1993年 JADECOM 六合温泉医療センター(群馬県六合村・後期研修)
  • 1994年 WONCA ICPC委員会参加(ヘルシンキ、短期)
  • 1995年 自治医科大学地域医療学講座病院 助手、チーフレジデント
  • 1996年 McMaster大学EBMワークショップ参加(短期)
  • 1998年 JADECOM 揖斐郡北西部地域医療センター「山びこの郷」(岐阜県久瀬村)
  • 1999年 英国家庭医療学会指導医講習会参加(ロンドン、短期)
  • 2003年 JADECOM 揖斐郡北西部地域医療センター「山びこの郷」 センター長
  • 2010年 JADECOM シティ・タワー診療所(岐阜市) 非常勤(兼任)
  • 2015年 宮崎大学医学部地域医療・総合診療医学講座 教授

吉村 学(よしむら・まなぶ)

風化しかけていた原初の目標が、突然よみがえった運命の出会い

吉村は1985年に宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)に入学してすぐ、そこはかとない違和感にさいなまれるようになったという。

「私は子どもの頃、比較的病弱で、お医者さんにはよくお世話になりました。鹿児島の田舎育ちなため、お世話になっていたのは地域でたったひとりの開業医。先生は怪我であろうが風邪であろうがなんでも診てくれる方で、私も含め地域全体から感謝され、尊敬されていました。
あの先生への憧れの気持ちが、私が医師をめざした動機の大きな部分を占めていました」

だが、入学した医学部のカリキュラムに身を投じてみると何かが違う。

「こういうことを学んでいって、あの先生のようになれるのだろうか? なれるような気がしないなあと思いました」

さもありなん。待ち構えていたのは、臓器別専門医を養成するためと言ってもいいカリキュラムなのだから。

「当時の私は、そういうことなのかと納得し、受け入れるしかありませんでした。『いたしかたなし』ということでカリキュラムに従い単位をとり、卒業し、国家試験を通って、医師になる自分をイメージするようになりました」

漠とした憧れをいったん脇に置き、目の前の現実に向き合った。大きな転機でも訪れない限り、循環器専門医や消化器専門医として歩む医師人生が待っていただろう。ところが、転機は、訪れたのである。

「卒業が間近に迫った頃、国家試験対策の特別講義で自治医科大学の玉田太朗先生が来校されました。そして、特別講義の最後に、自治医科大学地域医療学講座に関するお話をされたのです」

この講座は、地域医療に関わる教育・研修ならびに研究を目的として開講され、当時すでに約10年の歴史があったが、1990年に初めて専任教授を招き、地域医療を段階的かつ継続的に学ぶカリキュラムの整備が始められたところだった。つまりは、日本初の本格的な総合診療医の教育システムだ。結局、吉村はその第1期生となった。

同講座は、現在も同大学の地域医療学センター地域医療学部門として、全国から広く、地域医療への情熱をもつ医師を受け入れている。

「この出会いがなければ、今の私はないでしょう。卒後の研修はそこで受けると即決しました。憧れの先生のようになるための道筋がやっと、そしていきなり、目の前に開けた。風化しかけていた原初の目標が、よみがえったのです」

1991年、大学卒業と同時に栃木県(自治医科大学)に居を移し、憧れを形にするための努力の日々がスタートした。

性別や年齢・疾患にかかわらず、すべてを受け入れる。
コミュニティ作りにも参加する。


初期研修医の同期9名と。
全国から同じ思いをもった俊英が集結した。

水を得た魚のように生き生きと学び、吸収する様子が目に浮かぶ。講座教授の五十嵐正紘氏から直接指導を受けたことや、離島、へき地での研修について述懐する表情は、文字どおり嬉々としている。

「計4年の研修を受け、チーフレジデントとして自治医科大学に戻り、その後、病院助手として学生教育の手伝いをしながら1997年まで同講座に在籍。1998年から、いよいよ地域医療の現場に出ました」

赴任したのは、岐阜県揖斐郡久瀬村(現・揖斐郡揖斐川町)。自治医科大学の卒業生が中心になり地域医療促進に取り組む地域医療振興協会(以下、JADECOM)が管理を担当する、公設民営の診療所と老人保健施設からなる複合施設「揖斐郡北西部地域医療センターやまびこの郷(以下、北西部地域医療センター)」だった。

「久瀬村は、現在、JADECOM地域医療研究所所長を務める山田隆司先生が約20年にわたり地域医療に取り組んだ地です。私は山田先生から直接、彼の地で培った知見や方法論のご指導を受け、実践していきました」

そこで培われた、地域医療観は――。

「治療に関しては、外来診療を軸に、性別や年齢・疾患にかかわらず、すべてを受け入れます。つまり、断らない。そして、治療に加え、予防、介護・福祉、リハビリテーション、そして在宅医療までもカバーしなければなりません。
山田先生は、そういった要素を網羅した医療を実現するために、コミュニティ作りに積極的に参加するアプローチを実践しました。もちろん、現在の私はその方法論に強い影響を受けています」

24時間365日オンコールと広報する。
すると、非常識な時間の入電はなくなるという事実。

吉村が久瀬村に赴任し、山田氏の助言に従ってまずおこなったのは、「常時オンコールなので、24時間365日いつでも電話していいですよ」と広報することだったそうだ。

「山田先生から答えまで教えてもらっていたので、心配はありませんでした。でも、実際にやってみると本当にそのとおりになり、あらためて驚きました。アナウンスをされた地域の皆さんは、結局、むやみに電話などしてこないのです。『この程度のことでこの時間に呼び出しをかけていたら、医師が潰れてしまう』と自律的に考え、行動してくださるのですね。それは、実質的に、地域の皆さんに医療システムの運営に参加していただくことにもなります。地域医療には住民参加の視点が必要だと言われるようになった昨今ですが、私は、赴任早々にそういった本質に触れることができたのです」

カリスマのいなくなった後には、何も残らない。
担い手を育成する仕組み作りが必要だ。


普段は教授室書棚に収めてある米国家庭医療の父
テイラー先生の著書と奥様のアニタ先生の著書。
両先生にはメンターとしてもたいへんお世話になった。

2003年には、北西部地域医療センターのセンター長に就任。引き続き久瀬村での地域医療を実践しつつ、人材育成のミッションも加えた取り組みが始まった。

「地域医療には、カリスマを生みやすい土壌があります。やる気と能力にあふれた医師が地域に降り立ち、八面六臂の活躍を繰り広げ、人々に愛され、感謝され、やがてカリスマになる。それ自体はたいへん貴いことですが、カリスマがその地を離れたり、引退したりするとすぐに医療の空白地帯が生まれてしまう。何も残らない。
それではいけない。持続可能な底力をもった地域医療のために、担い手を育成する仕組み作りが必要だというJADECOMの考えに、私は強く共感しました」

揖斐川町を舞台に総合診療医としての腕を磨きながら、医学生の実習や研修医の受け入れも徐々に経験し、教育者としての力を蓄えていった。そして、吉村のアイデアマンの側面が一気に花開いていった。

実習生を独居老人宅に置き去りにする。
地域医療には、参加型教育が欠かせない。


「ごちゃまぜIPE(多職種連携教育)」のため県内の医療養成校を行脚。その報告書が大学内に貼られている。

「置き去り実習」、「お泊まり実習」、「ごちゃまぜIPE(Interprofessional Education )」――。なんとも目を引く、教育プログラム名。

たとえば、「置き去り実習」とはどんなものか。

「地域医療に従事するにあたって、高齢者と世間話をする能力は必須ですが、医学部のカリキュラムには、そんなことを教えてくれる講義はありません。それを提供するのが、『置き去り実習』です。
独居老人宅の訪問診療で見学についてきた実習生を、『2~3時間したら、迎えにくるから』とその場に置き去りにして、次の訪問先に向かいます。私たちが辞去した後には、独居老人と実習生だけが残されますが、そうなると、100%の確率で、おばあちゃん(おじいちゃん)のマシンガントークが始まります。
もちろん、ケースは選びます。本当に具合が悪い方ではいけませんが、訪問診療を望む高齢者の中には、話し相手が欲しい方も多くいるのです。そんな方にとって、うぶな医学生は『猫にマタタビ』みたいなもの。嬉しくて、楽しくて、仕方ないはずです」

解説を展開する吉村こそが楽しくて仕方ない様子である。

「逆説的に言えば、こんな機会でもなければ、医学生の多くは、偏差値が高いおりこうさんのまま大学を卒業し、高齢者とのコミュニケーションスキルが欠けた状態で地域医療の現場に出て、立ち往生するだけです。繰り返しますが、おじいちゃん、おばあちゃんと世間話ができない医師には、地域医療はできません。

『置き去り実習』では、高齢者の世間話に触れるだけでも十分な意義があるのですが、多くの実習生がそれ以上の成果を得ています。たとえば、高齢者の昔話からカルテに載っていない既往歴が判明することがあります。『実はね』と、引き出しにぎっしりと詰まった吸引薬と吸引器が出てきます。説明は受けたものの結局理解できず、恥ずかしくて言い出せなかった吸引薬のことをカミングアウトしてくれたわけです。

そういった体験を経て、地域医療における問診とはどんなことなのかを実感していく。目の前の高齢者から、本音や実態を聞き出せたという成功体験が積み上がっていく。

副次的なことですが、実習生の情報収集が私の臨床に役立つことも少なくありません。『あのおばあちゃんの年金は、月額3万円なんですよ』と報告してくれた実習生には、『よくやった』と誉めてあげました。患者さんの背景を理解することも地域医療には大切ですが、年金の額など、診察時間の範囲内では触れられないことですからね」

キーワードは、「愛のあるムチャブリ」とのこと。地域医療の教育には、見学中心から、チームの一員として受け入れる参加型への転換が重要なのだという考えが込められている。

的を射た見識に、光るキーワードやネーミングを切り出すセンスを兼ね備えた教育者は、一義的な成果を積み重ねながら、徐々に情報の発信者にもなっていく。ユニークな業績と耳に届く語り口が徐々に耳目を集め、講演依頼などが増えていった。

地域と向き合い、培った知見とノウハウを
アカデミックな立場から発信する決意。



宮崎大学医学部付属病院(上)
英国との若手家庭医交流事業で受け入れた医師と記念写真。(下)

岐阜県揖斐川町に、吉村学あり。地域医療をテーマとする医療人の間にそんな認識が広まりつつあるなかで、より強く興味の目を向ける人がいた。当時、宮崎大学医学部地域医療学の教授であった長田直人氏である。

「長田先生が研修会で岐阜県を訪れた際に初めてお会いしたのですが、いつしか、『母校に戻って、私の後任をどうだ』とお声がけいただけるようになりました」

継続的な打診は、足かけ5年ほどになったという。

「当初は、抱えている患者さんたちへの責任からもこの地を離れるなどあり得ないと考えました。しかし、長田先生のお考えを咀嚼するにつれ、大学で教鞭をとることの意義も理解できるようになりました」

吉村の心象風景を推理してみる。医学部6年時の、あの出会い。自治医科大学に学びの場があるとわかった時、快哉もあっただろうが、それ以上に「この出会いがなかったら」と薄氷を履んだ感覚をおぼえたはずだ。二十数年経った現在も、いまだ多くの医学生がそんな環境下に置かれているとしたら、見過ごせない。

揖斐川町を舞台に培った知見と「地域医療の担い手育成」のノウハウを、アカデミックな立場で、宮崎県から発信することにチャレンジしてみよう。そんな風に、臓腑に落ちていったのではないだろうか。

2015年、吉村は教授選に立った。新教授が吉村に決まった後、講座名を「地域医療学」から「地域医療・総合診療医学」に改めたことで、大学の志向と期待は十分に読み取れる。

ちなみにJADECOMは吉村の転身の意義に大いに賛同し、快く送り出してくれたそうだ。事後談をひとつ。

「選挙の結果次第ということもあり、転身の意思表示は教授着任の4か月前になってしまいました。一般論として、去る者のマナーとしては誉められたものではなく、今も申し訳ないと思っています。ただ、私の中に、根拠のある自信が存在したのも事実です。『後任は、すぐに見つけられる』と。
人は、十分に育っていました。彼の地で続けた地域医療の担い手育成の成果を見届けて、宮崎に旅立てたと自負しています」

県の医療政策に積極的に参加する学生、医師、
そして、住民を増やしていきたい。

教授就任に際して、

●研究、教育をとおして宮崎県の地域医療を支え、拡充する 

●地域医療に資する総合診療医を輩出する
をミッションに定めた。

「具体的にすべきことは山のようにありますし、日々新たな課題が生まれていますが、一つひとつ乗り越えていく覚悟です。
当面の数値目標としてあるのは、総合診療医を500名輩出。先進国で地域医療に必要な医師は住民2000名あたり、1名と言われているところからの単純計算ですが、宮崎県の人口が100万人ですから必要なのは500名となります。この数値は、現職の開業医の先生が学び直しなどを通じて地域医療の担い手になってくださるに従って下がっていくでしょう。そういった連携作業は並行して進めています」

2016年現在、吉村の関わるプロジェクトを項目のみ並べてみよう。

「兼任/宮崎大学医学部附属病院地域総合医育成センターセンター長」、「兼任/宮崎市立田野病院副院長」、「1年生時からの地域医療学講義」、「医学生向け地域医療ガイダンス」、「『お泊まり実習』の教育効果の実証と発表の準備」、「家庭医療・総合診療後期研修プログラム」、「学生サークル支援/Family Medicine Interest Group 立ち上げ」、「学び直し支援」、「宮崎県総合診療円卓会議開催」。

誌面に限りがあるため、解説は記せない。タイトルから中身を推察していただきたい。多面多岐にわたる取り組みを精力的に推進していることはわかるはずだ。

「何がしたいと問われたら、『住んでいてよかった』と言ってもらえる宮崎県にするために、地域医療を育みたいと答えます。
そのためには総合診療医の育成が必要です。地域医療連携の促進も担います。宮崎県医療薬務課との協働を深めます。環境整備は、総合診療医を希望する学生や医師を増やすだけでなく、県の医療政策に積極的に参加する学生、医師、住民をも増やす考えで進めています。
これほど多岐にわたるアプローチを一元的におこなえる唯一の機関、それが地域医療・総合診療医学講座なのだと考えています」

今後、順次発信されるであろう宮崎県発の地域医療の成果の数々を心待ちにしたい。

若手医師へのメッセージ

若手医師の皆さんにまず申しあげたいのは、自分の夢や思いを封印することなく思うままに初心を大事にしながらポジティブに歩んでほしいということです。

私の選んだ地域医療と総合診療医は、いまだマイノリティと言わざるを得ない現状ですが、世界に目を向ければすでに重要領域としてスタンダードな存在になっています。

ぜひ、多くの医師、多くの医学生の皆さんに関心をもっていただき、夢をもつにふさわしい分野だと認識していただきたいと願っています。

私は、宮崎を地域医療と総合診療医の聖地に育てるつもりでいます。
「この分野では、ここが世界の中心です」と宣言できる日を夢見て邁進しています。

ともに頑張りましょう!

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