山中 寿(東京女子医科大学 教授、附属膠原病リウマチ痛風センター 所長、東京女子医科大学病院リウマチ科 診療部長)
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山中 寿

(東京女子医科大学 教授、
附属膠原病リウマチ痛風センター 所長
東京女子医科大学病院リウマチ科
診療部長)

大規模な患者調査「IORRA」で
関節リウマチの臨床研究の進化に貢献

およそ6000人に及ぶ患者から情報を集め、解析データを多方面に
フィードバックする「IORRA」調査。
患者からの情報を中心にした大規模な観察研究は日本で例がなく、当初は実現可能かどうかが疑問視されたが、粘り強く研究を積み上げ、やがて世界的にも注目されるデータベースとして成長。
国内の臨床研究の発展、世界の関節リウマチ診療の進化にも大きく寄与している。
臨床と研究を融合させた山中の「IORRA」にかける思いを追った。

プロフィール

山中 寿(やまなか ひさし)

経歴
  • 1980年 三重大学医学部卒業、同大学第三内科入局
  • 1983年 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター助手
  • 1985年~1988年 米国スクリプス・クリニック研究所研究員
  • 1991年 東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター講師
  • 1997年 同センター助教授
  • 2003年 同センター教授
  • 2008年 同センター所長
所属学会等
日本リウマチ学会理事、日本痛風・核酸代謝学会理事、2000 年日本痛風・核酸代謝学会賞、2012 年日本リウマチ学会賞

山中 寿(やまなか ひさし)

システマティックに臨床研究を行える環境をつくらなければ

この10余年で、劇的に治療法が進化した疾患の一つに、関節リウマチがある。かつて、関節リウマチ治療は疾病自体の進行を止められず、抗炎症剤やステロイド薬など、痛み止めの薬を使った対症療法しか術がなかったが、新しい治療薬として、1999年にメトトレキサート、そして2003年以降には各種生物学的製剤が相次いで承認。それ以降、関節の痛みや腫れ、変形・破壊などを防ぐことが可能になり、関節炎を鎮静化した「寛解」に至る確率は著しく上がった。

特に症状を引き起こす「炎症性サイトカイン」の働きを直接抑える生物学的製剤の登場は、治療の在り方を根本から変えた。そして、関節リウマチ診療は患者の5年後、10年後を見据えた「目標達成に向けた治療」を行う新たな段階に入っている。

東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センターは、日本の新しい関節リウマチの治療、研究を常にリードしてきた診療施設である。痛風や膠原病も含めて、リウマチ性疾患に特化した施設としては日本最大で症例数も日本一。治療を受ける関節リウマチ患者の数は約6000人。我が国のリウマチ患者の100人に1人はここで診察していることになる。

同センターの名を世界的に知らしめたのが、年に2回実施する大規模患者調査「IORRA」(当初の名称は「J-ARAMIS」)である。プロジェクトを開始した2000年から2014年までの論文発表数は英文のみで計89編、学会発表数は301題にものぼるなど、調査の成果を数多く報告し、関節リウマチ診療の進化に貢献している。このIORRAの生みの親が、センターの5代目所長を務める山中寿だ。

「関節リウマチは、患者さんの症状や治療の状態など、適切な現状把握が極めて重要な疾病。特に新しい薬剤が次々と登場すると予想され、その有効性や治療による副作用を詳しく調べる必要がありましたが、1998年の日本にはその基礎となるデータベースが皆無でした。これでは話にならん、システマティックに臨床研究を行える環境をつくらなければ、という問題意識は以前から持っていました」

関節リウマチを患う医師に活躍の道を!

山中が、患者調査の実施を具体的に構想し始めたのは1998年のこと。この年に行われた日本リウマチ学会総会で講演者として招かれたスタンフォード大学のSingh博士との出会いがきっかけだった。Singh博士は米国スタンフォード大学を本部として1974年から展開していた関節リウマチに関する患者調査「ARAMIS」の責任者である。

「Singh 博士からARAMISのお話を聞く中で、これはぜひ私たちの手で日本版ARAMIS(J-ARAMIS)を展開しなければとの思いが強くなりました。わが膠原病リウマチ痛風センターは、設立以来一貫して臨床を大切にしてきた歴史がある。特に3代目所長の柏崎禎夫先生は臨床研究に情熱を傾けられてきた。第4代所長の鎌谷直之先生は統計学や情報科学の造詣が深かった。そうしたセンターの伝統をこの研究で結実させたいと考えたのです」

1999年という時代も良かった。リウマチに対する新しいクラスの薬剤が多数開発中であり、リウマチ診療が一変するビッグバンのまさに前夜であった。

「今から始めれば、ビッグバンをつぶさに記録することができる」まさに千載一遇のチャンスであった。

ほかにも山中を突き動かしたものがあった。それはセンターの中で、自ら関節リウマチを患いながら診療、研究に当たっていた医師たちの存在だった。センターには「自分が今かかっている病気を何とかしたい」、そういう高いモチベーションを持って入局する医師が少なくなかった。しかし、手指の変形のためにピペットをうまく扱えず、実験室での基礎研究が行えない医師もいることを山中は知っていた。「手が不自由でも、パソコンが扱えれば、統計調査の解析はできる。彼らのモチベーションを活かして、存分に活躍してもらえれば、関節リウマチ治療は大きく発展できる」

構想から実施までの準備期間に、リウマチを患った女性医局員をARAMISの本部であるスタンフォード大学に留学させ、そこで学んだシステムやデータベースの構築の仕方をJ-ARAMISにも反映させた。「現在のIORRAにつながる骨格がつくりあげられたのは、この医師のおかげ。多大な貢献をしてくれました」と、山中も振り返る。

現在のIORRA調査は、このような入念な計画の末、2000年からJ-ARAMISとしてスタートした。2000年という治療ビッグバン前夜に開始できたという天の時、臨床を重んじてきた膠原病リウマチ痛風センターという地の利、そして人の和。この三者が揃ってスタートできたのはまさに僥倖であった。何という巡り会わせであろうか。

ちなみに、J-ARAMISは「IORRA」に名称を変更したが、これは2005年に米国のARAMIS自体が終了したことに伴うものである。変わったのは名称だけで、システム自体は完璧に継承されている。

徹底したフィードバックが成功のカギ

日本版ARAMISとして構想された「IORRA(J-ARAMIS)」であるが、山中はARAMISのシステムをそのまま採用したわけではない。ARAMISは患者からの情報のみを調査の対象にしたが、山中はこれに医師の評価や血液検査の所見も加えて、病状を総合的に判断するシステムにし、情報の信頼性を高めた。

「私はいろんな本をよく読みますが、IORRAを始めるにあたって経済学者のドラッカーの言葉である『顧客は誰か』を応用しようと考えました。IORRAを中心に据えた場合、対象となる患者も、参加する医師も、協賛する企業もすべて顧客と考えることができる。IORRAが何をすれば個々の顧客にとってメリットが生まれるかをよくよく考えてシステムを作ろうと思いました」

気づかれた方も多いと思うが、これはベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海著)と同じ手法である。ただし、この本が出版されたのは2009年。山中は10年前の1999年に既に考え、2000年から医学の世界で実践していたのである。

調査の主体である患者にとってのメリットは、調査の結果が関節リウマチ診療の向上につながるという長い目で見たものだけでなく、疾患活動性に関する客観的なレポートを手にすることで、自分の病気の現状を知ることができるようにした。さらに、毎回発行される「IORRAニュース」などを通じて、解析情報を公表。こうしたフィードバックの徹底は、参加する患者の信頼を高めることにつながった。

当初は患者さんの協力が得られるのかが大きな不安であったというが、杞憂であった。回収率は毎回98%を超えた。約6000名の関節リウマチ患者のほとんどが、全30ページに及ぶ調査票に記入して郵送で送り返してくれている。この98%という数字は海外からも称賛の目で見られている。国際学会で発表するといつも質問されるという。

「実際、回収率は6割程度ではないかという声もありましたが、そうではなかった。患者さんは自分たちが情報を届けることで、自分たちの病気が良くなるのではないか。診療のレベルが上がるのではないかと期待してくれている。期待の表れが回収率98%だと思います。私たちはその期待に応えるためにも、患者さんに情報を還元し、医療を向上させねばならない。それが患者さんからの信頼を高めることにつながるのだと思います」

参加する医師のメリットは、まずデータベースを扱う権利を得ることである。データの管理は厳重に行われていて、調査に参加しなければデータにアクセスできない。そのほかにもユニークなものとして調査ごとに配布される「個人成績表」がある。各医師がどの薬をどれだけ使っているか。自分が診ている患者はどれだけ症状が改善しているか、ほかの医師と比較してどうか、すべて医師にフィードバックする。

「外来診療では、医師が別々のブースで診療しますから、隣のブースで何が行われているか、意外に知りません。従って、自分の診療がどのレベルにあるのかがよく分からない。これを『見える化』して、自分の診療レベルを客観視してもらう。とても実践的な医師教育になっています」

さらにIORRAに対して財政的に協力してくれている製薬企業に対しては、企業向け報告会を年2回開催するとともに、特定の薬剤に関する解析結果を提供している。この貴重なデータは薬剤の開発やマーケティングにも十分活かされているという。

観察研究のプロトタイプになったIORRA

IORRAが始まって今年で14年目。この間、日本における関節リウマチの臨床研究は大きくレベルアップした。そこにはIORRAが与えたインパクトが大きい。IORRAが開始され、次々と成果を出すようになって、医療界における患者の情報に対する考え方や、治療手段の臨床評価の在り方が変わった。

「IORRA調査が始まった2000年の時点では、『こういうスタディが日本でもできるようになったのは素晴らしい』と評価する声もありましたが、むしろ『患者さんの言うことなんて信用できない』という声が主流でした。今はどうでしょうか。時代がIORRAに追いついてきましたよ」

ビジネスでは「ルールを変えた者が勝つ」と言われる。IORRAはまさにルールメーカーだったといえる。IORRAに追いつこうと日本中で同様の観察研究が続々と開始され、質の高い臨床研究が活発に行われるようになった。IORRAはこうした観察研究のプロトタイプである。関節リウマチの中心的治療薬「メトトレキサート」が2011年2月に従来の週8㎎から週16㎎まで増量使用が可能になったのも、IORRAの統計調査に基づく公知申請の成果である。もはや、厚生労働行政を動かすまでにIORRAは成長している。

山中が言うように、IORRAの登場で時代は大きく変わった。そうした功績が認められて、山中は2012年度の日本リウマチ学会賞を受賞した。

「とても名誉なことでした。歴代のセンター所長の皆さんはいずれも受賞していますから、これで面目を保つことができたとほっとしました。さらに私にとって喜ばしかったのは、IORRAの実績が認められたこと。この賞は基礎研究が評価されて授与されることが多いのですが、日常診療に基づいた研究で高い評価を受けたことが何よりもうれしいですね。IORRAを通して多くの患者さんのご協力を形にしたことに対する評価と受け止めています」

患者さんと目線を合わせよ!

所長を務める膠原病リウマチ痛風センターは2012年に開設30周年を迎えた。この間、一貫してセンターに所属し、医師としてのキャリアの大半をここで積み重ねた。今ではセンターの歴史を最初から現在まで知る唯一の存在である。膠原病リウマチ痛風センターには開設当初から個性的で優秀な医師が全国から集まり、梁山泊と呼ばれた時期もあった。その中で、山中は医療人としても、人間としても大きく成長した。

「このセンターは、当初痛風の専門外来として誕生しました。このセンターを中心として基礎研究や臨床研究が行われ、治療法が確立されました。その結果、痛風は特殊な疾病ではなくなり、ガイドラインも作り、全国どこでも治療できる一般的な病気になりました。次は関節リウマチです。新しいレベルの治療法が確立され、定着すれば、全国どこでも標準的な治療ができるようになるでしょう。大切なことですが、現在の治療法は、多くの先輩たちの成果の積み重ねの結果であることを忘れてはいけません」

2008年に、前任の鎌谷直之所長が退任した後を受けて、センターの所長に就いた。さらに組織を発展させ、リウマチ性疾患の治療に貢献するために、若手医師の採用・育成にも力を入れる。東京女子医大のみならず全国の若い医師を指導する「IORリウマチセミナー」などの取り組みも軌道に乗ってきた中、若手医師に常に言い聞かせていることがあるという。

「いくら新しい治療ができても、医師として最も大事なのは、患者さんと同じ目線で対応する姿勢です。若手医師はともすれば新しい治療法にばかり目が行き、患者さんの気持ちに配慮できないことがある。『こんないい治療法があるのに、何でやらないんだ』と、上から目線で患者さんに対応する場合も出てくる。新しい治療は、患者さんからの信頼を得て初めて前に進む。このことを若い人々に伝えなければいけないと考えています」

キーワードは「IBM」

山中の脳裏にはある風景が刻まれている。故郷の滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)で開業医であった今は亡き父親の姿だ。

「小さい町で、診療所も少なかった時代ですから、町民の大半は父の診療を受けていました。父は患者さんから絶大な信頼を得ながら、骨身を惜しまず、診療に一生を捧げました。私もその姿を見ながら育てられました。私が言うのもおこがましいのですが、父は人格的にも能力的にも優れた人間でした。今、私がしている仕事を父にさせることができたなら、私よりずっとすごいものを作ったのではないかと思います。その思いがある限り、私は永遠に父を超えられませんね」

これからの目標は、世界的にも注目されるデータベースに成長したIORRAを基にして臨床医学をいかに進化させるかということだという。そして、そのキーワードは「IBM」だという。

「科学的な根拠に基づいて治療法などを選択するEBM(evidence-basedmedicine)は、今では常識になっています。既報の論文からエビデンスを集め、それを目の前の患者さんに当てはめる。これ自体は非常に大切な考え方ですが、私は臨床医として満足していません。エビデンスは海外の論文が多く、人種、体格などの身体的な条件、さらには認可されている薬剤をはじめとした医療環境が日本とは異なる場合も多い。それを目の前の患者さんに当てはめることができると考えるのは、強引だし、短絡的ですよ。

それよりも、エビデンスは普段の臨床から求めるべきというのが私の考え。そこで私が推進したいのがIBMなんです。私の造語ですが、IBMのIは、もちろんIORRAのI。

IORRAのデータを解析して、IORRAに参加した患者さんの医療を行う。さらにこれを関節リウマチ以外の一般臨床にも演繹的に応用する。すなわち、我々が診療している患者さんのデータを科学的に解析し、我々の患者さんの日常診療に生かし、医療を最適化する。いわばEBMの進化版であり、これこそ臨床と研究の融合だと思います。私の夢の一つですね」

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