1. 清野 裕(関西電力病院院長、京都大学医学部名誉教授)
清野 裕(関西電力病院院長、京都大学医学部名誉教授)
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清野 裕 (関西電力病院院長)

糖尿病診療に多大な影響を与えた
研究への弛まぬ情熱

先輩医師の一言をきっかけに、糖尿病治療の世界に足を踏み入れた。
やがて「インクレチン」という生涯の研究テーマと出会う。
粘り強くこつこつと積み上げた長年の基礎研究の成果はやがて結実し治療の道筋を照らし出すまばゆい光明として輝きだした。
糖尿病領域を牽引してきた清野裕。
その信念に迫った。

プロフィール

清野 裕(せいの ゆたか)

経歴
  • 1941年 福岡県福岡市生まれ
  • 1967年 京都大学医学部 卒業
  • 1977年 ワシントン大学( 米国・シアトル) 代謝・内分泌科
    (Prof. Daniel Porte Jr.) 客員研究員

  • 1996年 京都大学大学院医学研究科 糖尿病・栄養内科学 教授
  • 2001年 京都大学医学部附属病院 副病院長
  • 2004年 関西電力病院 病院長
  • 2004年 京都大学医学部名誉教授
所属学会等
アジア糖尿病学会、日本糖尿病学会、日本糖尿病協会、日本病態栄養学会、
日本糖尿病対策推進会議、大阪糖尿病対策推進会議

清野 裕(せいの ゆたか)

ふとしたきっかけでインクレチン研究の道へ

今から30年以上前、神戸大学の内分泌分野の若手医師の一人だった清野裕は、新しい研究テーマに出合う。それが「インクレチン」だった。

「当時、国内ではあまり注目されない存在でした。インクレチン自体、医師の間でも一般的ではありませんでした」と弾けるような柔和な笑顔で清野は語り始めた。

当時はまだ医療界でも、このテーマに関心を寄せる研究者は少なかった。それが、2009年以降、新しい作用機序の2型糖尿病治療薬として、インクレチン関連薬(「DPP-4阻害薬」「GLP-1受容体作動薬」)が相次いで上市。現在では国内の糖尿病患者280万人に使用されるなど、糖尿病診療の可能性を広げる薬剤として、大きな期待を集めている。

インクレチンは 食後に腸管から分泌されるホルモンの総称で、血糖に依存してインスリン分泌を増加させる働きを持つ。概念が確立されたのは1906年。Moore が十二指腸粘膜の腸管抽出物が糖尿病患者の尿糖を減少させることを明らかにして、存在を示唆した。1929年、La Barre らが腸管抽出物から血糖降下作用を有する成分を精製、これをインクレチンと命名した。

その後、長期にわたり研究が停滞する時期が続いたが、1960年に血清中のインスリン量を測定するラジオイムノアッセイ(RIA)法が開発されると、一部の研究者の手で、研究が再開。現在までに、GLP-1(グルカゴン様ペプチド1)とGIP(グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド)という2種類の消化管ホルモンが同定されたほか、前述した関連薬も開発され、臨床試験のみならず、実臨床においてもその効果が明らかになっている。

その発展の基礎を形作った一人が、長年、世界のインクレチン研究をリードしてきた清野であることは衆目一致するところであろう。2009年以降、糖尿病領域の研究者の功績をたたえる糖尿病功績の賞を財団や日本医師会から受賞するなど、この分野の功労者として、日本はおろか世界的にも高い評価を受けている。当時、清野本人はどのような思いで、この研究に着手したのか。30年以上前のそのときを次のように振り返る。

「それまで私自身、神戸大学でインスリン分泌の研究をしていたのですが、これが学内の隣の内科の研究分野とバッティングしましてね。それで恩師から、2つの研究室で同様の研究だけをする必要はない。新しい研究テーマを見つけてはどうかと勧められたんですよ。私が所属していた内分泌の領域は糖尿病研究の主流ではなかったものですから、致し方ない。そこで、糖尿病研究で誰も手を付けていない分野を手掛けようと、いろいろ文献を探った中で、特に面白そうだと思ったのが、このインクレチン。本格的に研究する決意を固めたんですよ。これも一つの縁ですね」

窮地を救ってくれた海外研究者のサポート

以来、現在に至るまで、清野は絶えずインクレチン研究を続けてきた。当然、参考にすべき論文やデータも少ない。開拓者として多くの生みの苦しみを味わったという。

「初めのうちは消化管から出るホルモンということで、外科的な側面からインクレチン分泌を測定するなどしてきましたが、やがて遺伝子や受容体を同定したり、ある遺伝子を欠損させたノックアウトマウスを用いるなど、分子生物学的な手法で研究する時代に入りました。最初の時期は非常に苦労しましたね。何しろ、研究に必要なペプチド合成の費用が高くて、論文を書くためのデータがなかなか収集できないという状態でしたから」

そんな清野に温かく手を差し伸べたのが、海外のインクレチン研究者たちだったという。その一人が、1970年にGIPを同定した世界的な権威、Brown だった。

「Brown とは私がアメリカのワシントン大学留学中に、カナダのバンクーバーへ訪ねて、親交を深めた仲。そこで彼に、窮状を訴えたらその直後日本にきた際、自宅へ立寄り『これで研究しなさい』と、私が望んでいたホルモンや抗体を提供してくれたんです。彼は世界的な権威でありながら、とても人間味があって常人でははかり知れないキャラクターの持ち主。それから間もなく大好きな魚釣りをしたいと、研究の世界から完全に引退してしまったときには驚きましたね。内心、少しうらやましい気持ちもありましたが(笑)」

さらに、清野はおよそ15年にわたり、GLP-1研究の大家、トロントのDrucker とも連携。互いに、GLP-1受容体、GIP受容体のノックアウトマウスをつくり、2グループで共同研究を進めた。「海外の共同研究者に恵まれた。その思いが強いですね。未知の領域を切り開こうと、支え合いながら切磋琢磨できたことが、その後のインクレチン研究の発展に大きく寄与したと思います」

日本人と白人のインスリン分泌能の違いにもっと留意するべき

インクレチン研究を世界的にリードしてきた清野だが、その一方で、若手医師時代に手掛けたインスリン分泌の研究をその後も継続。この領域でも大きな実績を残している。

「私が糖尿病研究の道に進んだのも、先輩に『うまいものを食わせるから手伝え』と言われて、インスリン測定に携わるようになったのがきっかけ。実はまったくの偶然なんですよ。京都大学卒業後に赴任した兵庫県立尼崎病院塚口分院でも、インスリン測定を通して臨床研究を行うことができたし、その後の神戸大学でも多くの糖尿病などの患者さんと接し、診察することで、多くのデータを得ることができた。自分でいうのもなんですが、非常に恵まれていると思います」

その膨大なデータを解析した清野は、日本人の糖尿病の発症機序に関する、ある事実を突き止める。日本人のインスリン分泌能は、白人の半分ほどしかないという事実だ。しかし、この説は当時の欧米の学会とは大きく異なる見解だったため、なかなか受け入れられなかった。

「測り方が悪い、これは1型糖尿病患者のデータではないかと、めちゃくちゃ言われて、苦心惨憺まとめあげた論文がずっとはねつけられて、学会誌に掲載すらされないんです。そこであるエディターの助けを借りて、イタリア糖尿病学会に英文と共にラテン語訳添付して提出したところ、『面白い』と高い評価を受けました」

清野が立てた説は、近年の糖尿病患者の激増によって図らずも証明されることになる。「糖尿病が強く疑われる人」は1997年が約690万人、2002年が約740万人、2007年が約890万人と右肩上がり。「糖尿病の可能性が否定できない人」も約1320万人(いずれも厚労省調査)。恐るべきスピードで増加し続けているのだ。

「白人は高度肥満になってから糖尿病を発症するのが一般的なのに対し、インスリン分泌量が少ない日本人は肥満になる前の状態で発症することが多い。血中に入ってきた糖を筋肉で利用しきれないからです。つまり、日本人は糖尿病を発症しやすい体質なんですよ」

清野はその原因を、数千年にわたる生活様式の違いにあると強調する。つまり、約一万年前から肉類や乳製品など高脂肪の食品を摂取してきた白人は、そうした食環境に対応すべく、多量のインスリン分泌ができるよう体質を進化させた。その一方で、農耕民族である日本人は食品の8割が炭水化物のエネルギー。もともと大量のインスリンは必要なく、インスリンを分泌する膵β細胞もそれに順応した。

しかし、1960年代に入ったころから、日本人の食生活はまたたく間に欧米化。これに対して膵β細胞が対応できなくなってしまった。つまり、これこそが日本、ひいては穀類中心の食生活を送ってきたアジア各国で糖尿病患者が増えている原因ではないのかという仮説である。

「今、国、自治体、医療機関は、メタボリック症候群に着目して、生活習慣病に対する啓発・啓蒙を行っています。もちろん、これは重要です。ただ、日本人2型糖尿病患者の約60%は非メタボリック症候群です。メタボリックに目をとられ過ぎると、2型糖尿病の急増を防ぐことはできない。日本人の特性を踏まえた血糖管理が必要なのではないのでしょうか」

変わりつつある糖尿病治療のパラダイム

糖尿病患者が増加の一途をたどる中、日本の糖尿病治療のパラダイムが大きく変わりつつある。治療薬の進化も、その一つの要因だが、もう一つのトピックとして挙げられるのが2010年に実施された糖尿病診断基準の11年ぶりの改定。清野は日本糖尿病学会「糖尿病診断基準検討委員会委員長」として、その見直し作業に中心的に携わった。

その結果、2013年4月1日から新しく導入された診断基準では、HbA1cが従来の補助的な診断基準からより上位の基準に格上げされた。これにより、HbA1cと血糖値を組み合わせることで、一度の採血で糖尿病の診断が可能になり、早期診断、早期治療への道が開かれた。また、これと軌を一にして、従来日本で使われてきたHbA1cの数値「JDS」が世界標準の数値「NGSP」に切り替わるなど大規模な改定となった。

加えて、HbA1c(NGSP値)6.5%以上が糖尿病の診断基準に盛り込まれたほか、血糖正常化を目指す際の目標として本年日本糖尿病学会はHbA1c6.0%未満、合併症予防のための目標として7.0%未満、治療強化が困難な際の目標として8.0%と、具体的な血糖コントロールの目標数値も掲げた。

「今回の熊本宣言では、HbA1cを重視する考え方を前面に押し出したほか、3つの目標数値も掲げています。これにより、年齢や罹病期間、低血糖の危険性、サポート体制なども考慮して、具体的な治療目標を定めやすくなったと思います。

ただ、発症して間もない若い患者さんに対してはできるだけ6%を目指してくださいというメッセージをもう少し強調すべきだったかなという思いもあります。中にはまだ若いにもかかわらず、この基準を見て『自分は7%でいいかな』と妥協してしまう患者さんもいるようです。なるべく、辛い血糖管理はしたくないという気持ちはわからないでもありませんが、糖尿病は、早期からの十分な血糖コントロールが何よりも大事。それがいわゆる遺産(レガシー)効果として、その後の合併症の予防につながるんです」

ライフスタイル変化にも対応しチームで患者に接する

長年、糖尿病診療に当たってきた清野が実感すること。それは「現在ほど治療が難しい時代はない」ということだ。

糖尿病治療は、前述したようにいかに早い段階で患者の病気への理解を深め、食事療法、運動療法につなげてもらうかがカギになるが、それが以前に比べて格段に困難になっているという。

「一言でいえば、社会環境の変化です。コンビニが増えて、夜型の生活環境も一般化してきた。さらに、独身者も増えている。従来のように、医師から一方的に理想的な食事療法を指導しても、その実現が困難な患者さんも増えている。ライフスタイルを全面的に変えなさいと言うことは簡単ですが、それこそ非現実的な提案でしょう。

であれば、むしろわれわれ医療を提供する側が、患者さんそれぞれのライフスタイルをよく理解した上で、テーラーメードの診療を心がけなければいけない。例えば、コンビニ食が主流の患者さんには、どのような食材、量を選ぶかをアドバイスしてあげるとか、より具体的に助言するということです」

さらに、清野はチームで治療を行うことの重要性も強調する。栄養指導や食事量の評価は「管理栄養士」、運動療法のプログラム作成、指導は「理学療法士」、服薬指導は「薬剤師」、フットケアやインスリン指導は「看護師」、検査方法の説明は「臨床検査技師」というように、各専門職がチームを組み一丸となって治療に当たるべきということだ。

「糖尿病治療はいかにコメディカルと協働して優れた診療システムを構築していくか、ここに尽きるのではないでしょうか。ただ、チームのスタッフが独善的に自分の考えや指導法を押し付けるようでは、いたずらに患者さんの混乱を招き、負担が増すという危険性もあります。そこで、治療に当たっては、毎週1回、各職種が集まってミニカンファレンスを実施し、チームで情報を共有、治療方針を確認する時間を十分にとるなどの工夫が重要になります」

地域への貢献を念頭に病院の建て直しに奔走

清野の家は江戸時代からの医師の家系で、父親も医師(小児科医)である。兄の佳紀氏と弟の進氏も医師の道を進み、やがて3人とも国立大学医学部教授に就任した。

清野はこの3兄弟を育て上げた父親から医師としてのたたずまいや考え方を学んだ。

「父親は、教育や進路にはまったく口を出しませんでしたが、人間として、医師としての心得にはうるさい人でした。大学教授になっても偉そうにしたらいけない、みんな椅子にお辞儀しているだけなんだから考え違いしたらいかん」と口を酸っぱくして言われました。

父は戦後間もなく、鳥取大学に請われる形で小児科の教授に就くのですが、やがて私たち兄弟の教育のために大学教授の職を投げ打って開業しました。そういうキャリアの人間だけに、私たちに伝えるそうした言葉にも実感がこもっていましたね。だから私は今でも父の教えをずっと守っているんですよ」

清野は2004年、現在の関西電力病院の院長に就いた。赤字続きの同院の建て直しを任されたのである。打診されたときには、正直迷いもあったというが、「地域医療への貢献」に身をささげようと、その申し出を引き受けた。院長就任後、まず行ったのは診療所回りだったという。

「もともと関西電力社員の福利厚生として誕生した病院ですから、当時は紹介率が低くて、せいぜい20%程度。これでは地域医療への貢献もおぼつかない。そこで、地域の開業医の先生と、コミュニケーションをとることから始めようと、自ら300もの診療所を回りました。すると、私の行動に触発されたのか、各科の部長クラスも診療所を訪問するようになって、病院全体として地域と密接な関係をつくることができるようになりました。今では紹介率が70%を超えています」

清野の病院建て直しの考えは極めてシンプルだ。治療の重点領域(「糖尿病を中心とする生活習慣病」「脳卒中」「心臓病」「がん」「機能再生医療」)を明確にし、特色を持たせた病院経営の推進を心がけている。

「周囲の総合病院の状況、当院の現状を把握したうえで、どこに当院の強みを置くか。どうしたら患者さんに選ばれるか。その観点から、多くの反対はありましたが、産科、小児科を廃止するという決断を下しました。その分、重点分野に当院のリソースを集中させたのです。

ただ、経営不振の病院がたどりがちな、縮小路線は歩まないよう腐心し、形成再建外科、脳神経外科など新しい診療領域を開拓しました。最大の医療資源は何といっても人材ですから、医師やコメディカルをリストラしない。むしろ、自分が責任をとるからと、医師や看護師などの数は大幅に増やしたんです。その結果、手術件数も5倍になりましたし、経営も安定化し、5月には病院の建て替えもできました。着実によい方向に進んでいますよ」

今後の関西電力病院の進むべき方向性についてたずねると、すぐに答えが返ってきた。

「『地域医療への貢献』が大前提。そのために救急医療も始めたのですが、医師や職員には『地域の方々からお願いされたことはすべて断ったらいけない。断る場合には、院長の私のところにその理由を持ってきなさい』と伝えています。病院は地域があってこそですから、どこまでもその姿勢で医療を提供していきたいですね」

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